今週のお題:心を動かされた映画

○こころに必要な栄養


蝉の鳴き声に導かれて、幼き頃の躍動的な風景が、回る幻灯機から記憶のスクリーン
に映し出される。


「あー、あの頃は良かったよなー。」


事あるごとに昔の思い出にひたるのは、歳をとった証拠だ。








ある日、普段は余り気にも留めない映画のポスターの前で足が止まった。
ポスターに描かれている背景画や解説の一文字ひと文字を目で追った。
タイトルには「ALLWAYS三丁目の夕日」とあった。


昭和33年の東京という設定の背景写真から、懐かしさとほのかな温もりが伝わり、
観たいという気持ちになるのに時間が掛からなかったのを覚えている。


物語は、ごく普通のヒトの営みが描かれている。
子供は健全な自我をさらけだし、はみ出しながらも地域や大人に育てられている。
今のように物はなくとも想像力を働かして、遊びの世界を捻り出す。
家庭からは命の温もりがこぼれ、貧しいながらもこころは豊だった。


もちろん、振り返っていくら懐かしがっても、その頃に戻ることはできない。
文明という道具を手にした以上、もうそれを手放すことはできないことだ。
自分はどれだけ小さく脆弱な存在であるかを忘れ、文明生活で身にこびりついた傲慢さは、
もう洗い流す事はできないようだ。


そして、文明という物質の世界の誘惑は、見えない世界へと影をおとした。
 

発明家のトーマス・アルバ・エジソンは、「これからの機械文明を生きるには、こころ
を進化させることが必要だ」と、文明の辿り着く未来を憂慮した。


ひとが豊に生きていくのに必要なものは、こころの進化であり、こころの栄養なのかもしれ
ない。


この物語は親子三人で夕日を眺めているシーンで終わる。





 



母親は「いつもこの夕日が見られるといいね」と願うと、少年は「明日もあさっても五十年後も、
夕日はきれいだよ!」と、未来の我々に引き継いだ。


確かに五十年後の荒涼とした街を、変わらない夕日は赤く染めている。


けれども、夕日を「きれい」に写すのは、ひとのこころであることを忘れてはならない。