聖書を食べる!?


しかし、イエスは言われた。『いや、幸いなのは、
神のことばを聞いてそれを守る人たちです。』

(ルカ11:28)




聖書はキリスト者にとって、生きていくための食物であり、
進む道を照らしてくれる光です。


ある人にとっては、ただのぶ厚い退屈な書物でしかないか
もしれません。


また、ある人には、たまに喜びや気付を与えてくれる参考書
なのかもしれません。


アンドリュー・マーレーは「内なる生活(The Inner Life)」の
中で、聖書が身になる食物となるためには、受け取る私たち
の姿勢が大切であることを述べています。


・・・・・・以下引用


あなたの目的が単に聖書をよく知りたいということだけなら、
たといあなたがその目的を達成しても失望することになるで
しょう。


もしあなたが、聖書の完璧な知識は不可避的に祝福となると
考えているなら、誤っています。


それは、ある人々には値打ちのない、無益なものです。それは、
彼らを聖くもしないし、幸福にもしないのです。


ある人には、それは重荷になります。


それは彼らを元気づけたり励ましたりする代わりに憂うつにする
のです。


では、聖書を学ぶ者の目標や目的、あるいは真の姿勢はどう
あるべきでしょうか。


神のみことばは食物であり、天からのパンです。


聖書研究のための第一の必要は、義に対する大きな渇き、すな
わち、すべてのことにおいて神のみこころを行なおうとする願望
なのです。


聖書は光です。それを楽しむための第一の条件は、神の道を歩
もうとする心からの熱望
なのです。これが、この章の冒頭に掲げ
た聖句が教えていることではないでしょうか。


「幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」


私たちがそれを守るのでなければ、神のことばを聞いたり知ったり
することには何の祝福もないのです。


神のことばは、それを守り、従い、行なうことがなければ無に等し
いのです。・・・・・・・・・・・・・・・・


神は、みことばを実行しようと明確に自分の意志を決めた者に対し
てのみ、ご自身のみことばのほんとうの意味と祝福を知らせてくだ
さることでしょう。


・・・・・引用終了


主よ。


あなたの道を私に教えてください。


私はあなたの真理のうちを歩みます。


私の心を一つにしてください。


御名を畏れるように。」
詩篇86篇11節)