金柑の花が咲いた。

我が家の庭にある金柑の花が咲きました。







実は花を見るのは初めてなのです。というのも、この家は中古物件を譲り受けたもので、金柑の木は前のオーナーが植えたものです。それが咲いたということです。
何回かに分けて咲くそうで、今から実がなるのを楽しみにしています。



ところで、自然の中で美しく輝く草花にふれるとき人は、純粋に「命の尊さ」や「いとおしさ」を感じることができるようです。
これは、この大自然を創造されたお方とわたしたちの間に置かれている、雑多な障害物(文明や人の欲など)が自然の中では目に入らないため、わたしたち本来の命の琴線に触れるためかもしれません。




聖書には、こう書いてあります。「空の鳥を見なさい。種まきもせず、刈入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか
「きょうあっても、明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか」と。




そうなんです、人間を神はどれだけ愛しているのでしょう。
理解できないのは、わたしたちが知ろうとしないからです。私たちのほうが、神から離れてしまっているからなのです。



まるで、自分ひとりで生きているかのように・・・。