2010-01-01から1年間の記事一覧

クリスマスなんて大嫌いだ!!(その2)

世間のうそ臭い喧騒に背を向けて、一人で真剣に人生を喘ぎながら重い足取りで歩いている人に言いたい。 「あなたは幸いだ」と。 「ふざけているのか!」と怒らずに、もう少し聞いてほしい。 「あなたを生かす」ために、「死ぬために生まれてこられた方」のお…

クリスマスなんて大嫌いだ!!

街はどこへ行ってもクリスマスで賑わっている。 人工的な怪しい光がへたな演出を担っている。 クリスマスは恋人と過ごすって、誰が決めたんだ。 家族もこの日ばかりは揃ってケーキを食べなければならないのだろうか。 誰もかれもが、「Merry Christmas」と浮…

やくざに宣教・・・!?

私の大好きな温泉の季節になりました。 隣町の都幾川町には良い温泉があります。5時過ぎに行くと800円の入湯料が500円になるので夫婦で行きます。 その温泉は内湯と露天風呂があり、寒空の中入る露天の湯は至福のときなのです。先日も二人で出かけ、…

愛をください!

「三つ子の魂百まで」という諺を、じいさんをみているとつくずく考えさせられます。 聖書では「愛」を教えています。それは神が示された愛ですが、人には「隣人を愛せ」と戒めています。その愛が人の原動力の源になければならないからです。 そしてその「隣…

日本人がイエス(神)を信じられない理由(その2)

教会のあり方を考えるあいかわらず日本人のクリスチャン人口が1%を超えることがないようです。(この数字も余りあてには・・・?) 一方お隣の大国では、今リバイバルが起こっているとのことです。「鍵は福音を受け入れる信仰の姿勢」にあるという分析がさ…

日本人がイエス(神)を信じられない理由

「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。それは、こう書いてあるからです。『わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。』知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか…

「気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。」(聖書)

聖書は神の言葉であり、歴史の書であり、警告の書でもあります。 「わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。」(新約聖書 マルコの福音書13章37節)と神は聖書をとおして警告を発しておられます。 …

これがまことの神

これがまことの神、「主イエス・キリスト」です。 「御冠をも汝は捨てて」(聖歌136番)1.御冠(みかむり)をも 汝(なれ)は捨てて 世に下りまししに ただの一間(ひとま)さえも空けて 迎(むこ)うる家なし 君よ この心に 来たり住みたまえ (天の王…

信仰の道を走りぬけよう!(その2)

ヤコブの手紙には「信仰は行いによって全うされる」(2:22)とあります。アブラハムもラハブも、行いによって信仰の代表としてヘブル人への手紙に書き残されました。 アブラハムは説明するまでもないでしょうからここでは省き、ラハブの信仰を見てみまし…

信仰の道を走りぬけよう!

この季節の早朝ジョギングはじつに爽快です。空気は澄んでいて、まだ星が残る空を眺めながら、次第に朝焼けで街にも色が戻ってくる景色に身を包まれるこのときは、「きょうも生かされている」ことを実感させられます。 それでも初めの頃は、特に運動をしてい…

祈りの力を行使しよう!!

今、このブログを読まれておられる方に、質問があります。 聖書は「神の霊感によるもの」(テモテⅡ・3:16)であり、そこに書かれてある言葉は「神からの言葉」(ぺテロⅡ・1:21)であると信じますか? 信じると答えられた方に次の質問をいたします。 …

聖書がもし、つくり話だったら

もし、聖書に書かれている神が神話の類の話だったら・・・。 こんなにも分かりづらい神の姿は描かないだろう。 新約聖書の初めには、いきなり系図が書かれている。まったく興味を持たせるような編集内容ではない。また、聖書が言う神は神秘的な臭いもなく超自然…

死に急ぐ子供たち

このような事件を耳にするたびに、「なぜ」という絶望感に襲われる。 また、群馬県の小学生(子ども)が生きることを止めてしまった。 いじめが原因だったようだ。 テレビで校長の会見があった。それはなんとも憐れな、大人の醜い姿を映し出していた。 日常…

じいさん、肉の鎧をおろそう!

永年しょい込んだ肉の垢(鎧)をそぎ落とすことは、何とむずかしいことか。 どんな言葉も、いとも簡単にはねのけてしまう・・・。 「子どものように純粋で素直でなければ、天国に入ることはできない」と、聖書は言う。 年をとればとるほど、その門は遠のいて…

思えば遠くに・・・。

今年になって、4匹の狸を見た・・・。と言っても、それは動かない死骸でした。 早朝のジョギングコースに県道があり、山から下りてきた(?)狸が道の反対側にある畑に行こうとして轢かれるようです。 ニュースによれば、今年の夏の猛暑で山のどんぐりなど…

主よ、あなたはどこに

「主は心の打ち砕かれたものの近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。」(詩篇34:18) 真理は天の父にある。 けれども、天上をどれだけ眺めていても、 そこに、神を見出すことはできない。 なぜなら、もっとも卑しい姿となり、 もっとも謙られ…

奇蹟の生還

6年前の10月27日の新潟で「長岡の奇蹟」は起こった。大地震による山崩れで生き埋めになり、92時間ぶりに優太君は奇跡的に救出された。この事故の記憶は新しい。 大きな余震が続く中で、東京消防庁のハイパーレスキュー隊や専門家達のいのちを賭けた救…

主を待ち望め!!

「あなたは知らないのか。聞いていないのか。 主は永遠の神、地の果てまで創造された方。 疲れることもなく、たゆむこともなく、 その英知は測り知れない。 疲れたものには力を与え、 精力のない者には活気をつける。 若者も疲れ、たゆみ、 若い男もつまづき…

お金は信用できるのか・・・?

「お金しか信用できない」、「世の中お金が支配している」と豪語される方も、「愛があれば、お金は要らない・・・?」とうそぶく方も、ここで少しお金のことを考えてみたいと思います。 「そもそも、お金って何でしょうか・・・?」 100年に一度の大不況(恐…

「絶望から希望へ・・・」チリ鉱山事故に思う。

落盤事故で生き埋めとなった作業員は、不死鳥(救出カプセルの名前)に乗って地上に生還した。 33人の作業員は、地下700メートルという風の薫りも自然の色すらも届かない地中で、わずかな希望を支えに命のともし火を消さずに耐えていた。 南米チリのサ…

神の贖いとは。時空を超える、十字架の贖い(その2)

イエスが死なれた後の、新約の時代(私たち) 旧約の時代は、イエスの代わりとして動物を犠牲にしました。そして、イエスは十字架にかかって死なれました。 「どうして、自分がまだ生まれていないのに、イエスが身代わりになることができるのか?」と質問さ…

神の贖いとは。時空を超える、十字架の贖い

このような疑問を持った方はいませんか? 「キリストは、約2000年も前に死んだのに、なぜ私たちの罪の犠牲になることができるのですか・・・?」これは、当たり前な疑問であり、聖書を考える上でとても重要なことです。 まず、“神の時間と人間の時間”を…

収穫の時

実りの秋を迎えました。色とりどりな秋の味覚が目も楽しませてくれます。 人生にも四季があります。秋は収穫の時です。 人生の法則は「自分の蒔いた種のとおりの実を刈り取る」ことになります。御霊の法則では「御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのち…

季節の香り

私が暮らしています川沿いの地区は、通りによって街路樹が違います。自宅前の通りには“はなみずき”が春の街を飾り、裏手の通りには“サルスベリ”、隣の地区には秋の爽やかさに香りをつけて“キンモクセイ”が存在感を示しています。 そんな中での早朝ウオーキン…

頑固じいさん VS 眼科医軍団(その2)

前回で、また違う眼科の名前が出てきてから7〜8回のやり取りがありました。 「野上に行った人の例は、たまたま治る病気だったんだよ。」「2軒の眼科に行っても同じような結果だったんだから、これ以上悪くならないように考えよう。」「気の毒だけど、この…

頑固じいさん VS 眼科医軍団

じいさんがの目が悪くなりだしてから、3軒の眼科につきあいました。 今回がその3軒目だったのです。(やれやれ・・・) 近くの大学病院で白内障の手術をし、眼鏡も合ったものに作り変えてもらったのが3年位前だということでした。「最近また見づらくなっ…

今週のお題「秋のおいしいもの」

秋のおいしいもの・・・? それは、朝の凛とした新鮮な空気です。 もちろん「味覚の秋」といいますから、食卓にお目見えする食材のオールスターたちは欠かせません。けれども、この新鮮で安全な空気があってはじめて、味覚を堪能することができるのです。 ま…

賛美しよう!

賛美歌はお経ではありません。(「あたりまえでしょ!」と怒られるかもしれませんが、むずかしい顔をして、意味も分からずに、ただ歌っているのは賛美ではありません) 主は、こんな素直な賛美を喜ばれるのでしょう。。。 「ハレルヤ。私のたましいよ。主を…

子は鎹(かすがい)・・・!?

朝のウォーキングでの楽しみの一つに、コース途中にある新築現場で家が完成されるまでの工程が毎日見られることがあります。 まず地面を掘って、土台となる基礎をコンクリートで造ります。(今はほとんどベタ基礎といい、コンクリートで基礎を造ります) そ…

「ヨセフさん行かないで!」

子どもの純粋な信仰には、正直「ハッ」とさせられます。 永年人間をやっていると、こころまで濁らせていくようで・・・。 子どもの頃には帰りたいとは思いませんが、せめて、主の前では“子どもの純粋さを少しでも取り戻したい”とは願っています。 前回に続き…