奇蹟の生還


6年前の10月27日の新潟で「長岡の奇蹟」は起こった。大地震による山崩れで生き埋めになり、92時間ぶりに優太君は奇跡的に救出された。この事故の記憶は新しい。


大きな余震が続く中で、東京消防庁ハイパーレスキュー隊や専門家達のいのちを賭けた救出作業によって、一つの小さないのちが救われたのでした。


今は元気に祖父母と暮らすこの少年は、「将来、レスキュー隊のように、人を救う仕事をしたい」と、語ったそうです。



これは、アフリカに伝道に行った、ある宣教師の話です。ある部落に行ったとき、一人の黒人奴隷が手足をしばられて、矢で射ち殺される寸前であったということです。そのため、その宣教師は酋長のところに飛んでいき「お願いです。ぜひ、あの人のいのちを助けてあげてください。代わりに、私を殺しても結構ですから」と言ったのです。


すると酋長は「あなたが、それほどの覚悟を決めているのなら、あいつは無罪放免ということにしよう」と答えました。さて、いきなり死からいのちへと引き上げられたその黒人奴隷は、そのあと、どのような行動に出たでしょうか。


彼は自由の身となったのに、その宣教師の余りにも大きな愛の魅力にひかれ、それからは、その宣教師の行くところへはどこへでもイソイソとしてついていき、新しい主人に仕えたということです。


さて、私たちにとってこの新しい主人とは、イエス様です。「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます」(ヨハネ10:11)と言われました。救い主イエスは文字どおり、私たちを神の子とするたに十字架の上で、ご自分のいのちを捨てられました。


このように、神の子とされた人は、いのちを投げ出すほどの深い愛を示し続けてくださる主の魅力にひかれ、イソイソとして、主と共にどこへでも行こうという気持ちになるのではないでしょうか。


救出されることも、自力で這い上がることもできない深淵の闇の中、絶望ではなく、いのちの道を開いて救ってくださったイエス様にならい、今度はレスキュー隊として喜んで主に従っていくのが、わたしたちの使命なのでしょう。