クリスマスなんて大嫌いだ!!(その2)

世間のうそ臭い喧騒に背を向けて、一人で真剣に人生を喘ぎながら重い足取りで歩いている人に言いたい。


あなたは幸いだ」と。


「ふざけているのか!」と怒らずに、もう少し聞いてほしい。


あなたを生かす」ために、「死ぬために生まれてこられた方」のお話を。



きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカの福音書2章11節)


聖書にはイエス・キリストを「救い主」と書いてあります。何から救うのでしょう。


また別の箇所では「この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」(マタイの福音書1章21節)とあります。


「罪から救ってくれると言われても・・・」、「犯罪を犯すようなことはしていないし・・・」、「そもそもなぜ、救われなければならないのか?」という疑問をもたれる方もいるでしょう。


今の世の中を見て下さい。世界中で争いのない国はないでしょう。また、友人との関係で、あるいは会社の人間関係において、なぜ傷つけあうのでしょう。なぜ、もう少し他人を思いやることができないのでしょうか。


家庭では、どうでしょう。親が子供に腹をたてたことはありませんか? 子供は親に逆らうことはありませんか? 言うことを聞かない子に、怒りをぶつけたことはありませんか? 車を運転中に、前をゆっくり走っている車に、罵声を浴びせたことはありませんか? なぜ、いじめがあるのですか? 


嘘をついたことがない人は、ほとんどいないでしょう。人を恨んだり、あるいは羨んだりしたことはありませんか? 


これらはすべて自己中心という人の性質からくるものです。自分にとって思うようにならないと、人は怒ります。常に「自分を基準」として考え行動するからです。


これが聖書の言う「」です。


残念ながら神の前では「罪人」なのです。「罪は自分を基準(中心)としてしまった」ことから生まれます。罪の性質を持つ前の人は、神との関係は良好でした。神の基準で神主導のもとで生きていました。自由意志を尊重された神は、人の前に「永遠のいのちの木」と「神のように知恵をもつ木」をおきましたが、悪の権化であるサタンにそそのかされて「知恵の木」を食べさせられました。


こうして罪が人に入りました。その結果、神との関係が壊されて、自分の知恵や感情や意思で生きていかなければならなくなったのです。自己の基準を目めいっぱいに働かせながら。


また、完全である神は罪を見逃すわけにはいきません。罪を犯せば必ず罰があります。それが「永遠の死」といわれる死後の裁きです。


しかし、哀れみ深く完全な愛の存在である神は、人を滅ぼすことを望んではいません。そこで、罪の罰の身代わりを立てるという信じられないことをされました。


聖書にはこう書いてあります。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることもなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ福音書3章16節)


それが、ご自分の御子でもあり神であるイエスを「十字架刑で私たちの身代わりに死なせる」というできごとなのです。


私たちは、神のこの恵みを「信じて受け取る」だけで、神の罰を受けたことになるのです。それだけではなく、死んで肉体を離れたあとに、永遠の滅びではなく「永遠のいのち」を得るのです。


人は死に直面したり、危機的状態に置かれて人間の力ではどうしようもなくなったとき、存在を否定している人でも神(人を超越した何かの存在)に手を合わせます。そうであるならば、明確に唯一の神の存在を意識して生きていくほうが良いのではないでしょうか。


「人類の罪、苦しみや悲しみからも救うために、神であるのに、完全に人となってお生まれになった」のが本当のクリスマスの意味です。


初めに「あなたは幸いだ」と書きました。イエスは「心の貧しい人は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」と言いました。この世で何もかもうまくいっていると思っていたり、すべてにおいて満たされている(と思っている)時には、人は神を知ることは難しいです。でも、悩み苦しみ自分の愚かさや小ささ(心の貧しさ)を知ったときに、初めてイエスと出会うことができるのです。これは幸いなことではないでしょうか。


これがクリスマスです。12月25日のバカ騒ぎの中のできごとではありません。


どうぞ,この「いのちのプレゼント」を受け取ってください。プレゼントは受け取って初めて価値が生まれ、あなたの物になるのですから。





エスは言われた。『わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。』」(ヨハネ福音書・6章35節)
その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ福音書・1章12節)