「絶望から希望へ・・・」チリ鉱山事故に思う。


落盤事故で生き埋めとなった作業員は、不死鳥(救出カプセルの名前)に乗って地上に生還した。


33人の作業員は、地下700メートルという風の薫りも自然の色すらも届かない地中で、わずかな希望を支えに命のともし火を消さずに耐えていた。


南米チリのサンホセ鉱山で起こったこの奇跡の救出劇に、世界の人々は涙を流して歓喜した。


この事故を奇跡の生還へと導いた要因には、優れたリーダーの存在が欠かせません。そして、救出を望める状況(希望をもてる)にあったことも確かです。


ウイーン生まれで精神科医のビクトル・E・フランクルは著書の「夜と霧」のなかで、アウシュビッツ収容所で自らの悲惨な体験談を書きました。ドイツ軍により、ユダヤ人は虫けらのように扱われ殺されていったそうです。


そんな絶望的な精神状態の中でも“希望を持ち続けていられる人”と“そうでない人”とに分かれたそうです。彼は「内面的な拠り所を持たなくなった人間のみが崩壊せしまられた」と分析しています。


この“内面的な拠り所”とはなんでしょうか。これは、“確かな希望”にほかなりません。


チリの鉱山事故とは違い、ガス室に送られる日をただ待っている彼らにとって生きる望みは全くありませんでした。それでも確かな希望を持てたのはなぜでしょう。


彼らは“死の先にある希望”をつかんだからです。



「あなたは今、人生に対する明確な意味をもっていますか?」


「これから先の人生に、希望がありますか?」


「今までの人生で、何ひとつ良いともわれる経験をしたことがないですか?」


「私たちはどこから来て、どこへ行くのか。という疑問に答をもっていますか?」






聖書は言います。「渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」(黙示録22:17)「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ4:14)


この世の中に真理はありません。物質の世界では、人の飢え渇いた心を満たすことはできないのです。


そして、「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」(ヨハネ11:25、26)と神であるイエス様が約束してくださるのです。


誰にでも必ず死は訪れます。けれども、死は終わりではありません。


どうぞ、イエス・キリストを救い主と受け入れて、これからの人生を“確かな希望への道のり”としてください。「わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。」(ヨハネ10:9)