お金は信用できるのか・・・?


「お金しか信用できない」、「世の中お金が支配している」と豪語される方も、「愛があれば、お金は要らない・・・?」とうそぶく方も、ここで少しお金のことを考えてみたいと思います。


「そもそも、お金って何でしょうか・・・?」


100年に一度の大不況(恐慌?)と言われています。米国の大手証券会社リーマンブラザーズの破綻によって顕在化された、恐慌の元凶となっている「金融」とは、「お金」とは、いったい何なのでしょうか。


使い方や価値について尋ねたら、きっと笑われるでしょう。けれども、お金(紙幣)はただの紙であることも事実です。※安部芳裕氏の「お金の歴史」を参考にしました。


お金(紙幣)がつくられる前は、金や銀、銅などがお金(金属貨幣)でした。やがて、品質や重さを一定にするために、鋳造硬貨(コイン)が造られるようになります。中世になって、その中でももっとも価値の高いお金は金のコイン(金貨)でした。


当時のお金持ちは、箪笥に金貨をしまっておくわけにいかず、金の純度を調べる役割だった金細工師の家にある大きな金庫に預かってもらいました。金細工師は受領書を発行し、預かり手数料をもらっていました。


金細工師の金庫に預けたお金持ちのAさんは、受領書で金貨を引き出して、Bさんのお店で買い物をします。Bさんは代価として受け取った金貨を同じように金細工師の金庫に預け、受領書を受け取るのです。このようにCさんやDさんも金庫に預け、必要に応じて受領書で金貨を引き出して買い物をするようになりました。


こうなると、わざわざ金貨を引き出さなくても、受領書をつかって取引きをするほうが便利だし安全であると気づき、受領書そのものがお金の代役(紙幣)として使われるようになったのでした。


日常の取引きが紙幣(受領書)でされるようになると、金細工師の金庫にある金貨は、一度に引き出されることがなければ眠った状態となります。悪知恵の働く金細工師は、この預けられた他人の金貨を担保にして紙幣(受領書)を発行して、お金が必要な人に紙幣を貸し出す事を考えます。そして、今度はちゃっかりと貸し出し料(利子)を得ることになるのです。やがて、預かっている金貨以上に紙幣を発行するようになりました。


こんなことはもちろん違法ですが、このからくりは隠されていて人々には気づかれることはありませんでした。これが、近代の銀行業のはじまりです。(かなり大雑把ですが・・・)


簡単に銀行の仕組みを説明しましたが、本来お金はいつでも金(ゴールド)と等価で交換されるものです。これを兌換(だかん)紙幣と言います。つまりお金はいつでも銀行に行けば、金と交換してくれるものなのです。


現在は金の保有量よりはるかに大きいお金が出回っています。もう、金との交換はできません。


米国の紙幣には、1939年を境に「ゴールドと交換可能」と明記されていたものが消え、「法定貨幣」と変えられました。これは言い換えれば、ただの紙だということにもなるのです。





ここで問題です。「米国の通貨であるドルを発行しているのは米国政府でしょうか?」


「もちろん、そうに決まっている・・・」と、答える方が多いでしょう。


世界経済の中心国であった(今までは)米国のFRB連邦準備制度理事会中央銀行)は、連邦と付くので国営銀行と思われていましたが、実は民間の銀行なのです。そして、この民間の銀行が刷った紙幣を国が利子を払って借りているそうです。


「わおー。そうなると、国がお金をコントロールできないし、国がお金を必要な状況(例えば不況や戦争)をつくり出せば、いくらでも紙幣を印刷して儲けることができるってこと・・・?」


さらに、兌換券でなくなったお金の価値は、為替市場で決まるようになっていきました。そして、数字上の実体のない“投機手段”へと姿を変えていきました。投機ですから変動がないと利益を生むことはできませんが、一部の巨額な資金を持つ資産家は、自由にこの市場を操作しているそうです。


実体経済はマネー経済のわずか数パーセントでしかない、とも言われています。計算上では6京円という、創造もつかないお金が市場に存在していることになるそうです。この架空の龍(怪物マネー)は、自ら意思を持ち人間の欲望の海をはいつくばっているのです。


お金が悪いと言っているのではありません。お金は本来、汗水流した労働やサービス提供の対価として得るものです。また、“生きたお金”や“死んだお金”という言葉があるように、何にどのように使うかで変わってきます。


この今の景気は、お金(必要以上の欲)に支配されてしまった結果が現れているのではないでしょうか。


秋の夜長に、もう一度立ち止まって、“自分が妄信してきたもの”や“人生の意味”を考えてみてはいかがでしょうか。死んだらお金を持っていけません。私たちも、この世の中もやがて朽ちてゆくのです・・・。