「ヨセフさん行かないで!」
子どもの純粋な信仰には、正直「ハッ」とさせられます。
永年人間をやっていると、こころまで濁らせていくようで・・・。
子どもの頃には帰りたいとは思いませんが、せめて、主の前では“子どもの純粋さを少しでも取り戻したい”とは願っています。
前回に続き子どもの信仰シリーズです。
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アメリカのある村に、白い十字架の立つ教会がありました。
村の人たちの最大の楽しみは、クリスマスでした。なかでも「キリスト降誕劇」は、村全体で取り組む最大の行事でした。
その年は、子どもたちが「キリスト降誕劇」を担当することになっていました。そこで、教会学校の先生たちは、村中の子どもたちを集めて、役割を決めました。
まずマリヤさんが決まりました。ヨセフさんも決まりました。お星さんたちも、東の博士さんたちも次々に決まりました。こうして、子どもたちはそれぞれ役をもらい、はしゃぎながら帰って行きました。
ところが後になって、一人の少年にだけ、役をあげていなかったことに、先生たちは気がつきました。知恵遅れの少年でした。
先生たちは急いで新しい役を作りました。それは、イエスさまが生まれることになる、馬小屋のある宿屋の主人の役でした。
マリヤさんとヨセフさんが来たときに「だめだ。部屋はない」と言って、後ろにある馬小屋を指す役でした。
役をもらえることを聞いて、男の子は本当に喜びました。「僕も劇に出るんだ!みんなといっしょに、劇に出るんだ!」
そうして、来る日も来る日も男の子は一生懸命に練習しました。
「だめだ!部屋はない!」手を高く上げて、それから馬小屋を指さす。たったそれだけです。でも毎日、何十回も繰り返し練習しました。
さあ、いよいよクリスマスの日になりました。村中の人々が教会堂いっぱいに集まり、村はからっぽです。楽しいクリスマスのプログラムが進んで、いよいよお楽しみの最期の一番、子どもたちによる「キリスト降誕劇」が始まりました。
劇は順調に進み、いよいよ問題の場面となりました。
どっぷりと日の沈んだベツレヘムに、ヨセフさんとマリヤさんがやっとの思いでたどり着きました。そして、あの少年がたっている、村はずれの最期の宿屋にやって来ました。
「すみません、私たちを泊めてください」
さあ、男の子の出番です。教会学校の先生たちも、お父さん、お母さんも、思わず心の中でお祈りをしました。「あの子がちゃんと言えますように!」
男の子は大きな声で言いました。「だめだ!部屋はない!」(やった!)
そして、高く手を上げて、それから後ろの馬小屋をしっかりと指さしました。(よかった、うまくいった!)みんなは胸をなで下ろしました。
長旅で疲れたヨセフさんとマリヤさんは、肩を落とし、重たい足を引きずるようにして、馬小屋に向かって歩いていきました。
その後ろ姿をじっと見つめていた男の子の目に、みるみる涙があふれました。
「わあっ!」と声を上げて泣き出した男の子は、走っていって、ヨセフさんにしがみつくと、大声で言いました。
「ヨセフさん、馬小屋にいかないで!」
「僕の家に来て!僕の家に来て!」
劇は中断しました。教会学校の先生が舞台に飛び上がって、泣いてヨセフさんにしがみついている男の子を引き離しました。
劇はめちゃくちゃになってしまいました。けれど、、長い村の歴史の中で、これほど感動を呼んだ「キリスト降誕劇」は、後にも先にもなかった、ということです。
※「涙のち晴れ」生きる勇気がわいてくるストーリー集・いのちのことば社刊より転載