信仰の道を走りぬけよう!


この季節の早朝ジョギングはじつに爽快です。空気は澄んでいて、まだ星が残る空を眺めながら、次第に朝焼けで街にも色が戻ってくる景色に身を包まれるこのときは、「きょうも生かされている」ことを実感させられます。


それでも初めの頃は、特に運動をしていなかった私にとっては楽ではありませんでした。少しずつ距離を伸ばし、決めたゴール前で走ることを止めようと思ったことも何度もありました。


プロの運動選手は勝利のインタビューで「ファンの皆様の応援のおかげで・・・」と言う言葉を口にします。プロ選手にとってファンの存在や応援は、どれほど力になることでしょうか。





私たちの信仰もマラソン(ジョギング)に似ています。パウロは「走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」(テモテⅡ・4:7)と言っています。


そうです、走り抜けるのです。ゆっくり周りの景色を眺めるように、この世の雑多な惑わしに肉の思いを働かせることなく走るのです。


私はジョギングの途中で辛くなって止めようかと思った時に、もし声援を送ってくれる応援団がいればどれほど力づけられるか、と思ったことがありました。


実は、「最強の私たちの応援団」がにいるのです。


第五の福音書と言われるヘブル人への手紙には、「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いている」(12:1)と、応援団の存在をしらせています。そして、その応援団とは、信仰をまっとうした大先輩たちです。


この心強い信仰の大先輩たちをヘブル人への手紙11章で紹介しています。


中でも注目したいのは、信仰の父(アブラハム)と娼婦(ラハブ)が同一の扱いで紹介されている点です。はたして、その信仰とは・・・。


(次回でみていきます。)