死に急ぐ子供たち
このような事件を耳にするたびに、「なぜ」という絶望感に襲われる。
また、群馬県の小学生(子ども)が生きることを止めてしまった。
いじめが原因だったようだ。
テレビで校長の会見があった。それはなんとも憐れな、大人の醜い姿を映し出していた。
日常の業務をたんたんとこなし、彼らには落ち度は見つからないかもしれない。
いや、これは今の社会の縮図だ。みんな生きるのに精一杯なのだろうか。
親御さんの無念や本人の苦しみを思うと、記事として取り上げることはためらわれるが、
それでも書かずにはおれない。
いつからだろうか、“いのちの重み”が“死への逃避”より劣ってしまったのは・・・。
天地万物を創られた神への畏敬の念は、かけらさえも人の心には存在しないのか・・・。
親よ!! 教育者よ!!大人の世界にあるように、子どもの世界にも必ず“いじめはある”ことを
前提でその群れを管理するべきだ。
なぜなら人間は、“みんな違う”からだ。
育った環境が違えば、価値観だってそれぞれ違う。
背も違えば、体重も違う。勉強が得意な子に嫌いな子。足が速い子、遅い子。
明るい子に暗い子。一人として同じ人間はいない。
自分中心で、自己の基準でしか考えられない人間には、自分と違う人間(他人)を
容易には受け入れることができない。それが人間っていう生き物だ。
いじめる原因は、「自分にとって○○」ということだけなのだ。
ここで真実を言わなければならない。
「死はすべての終わりではない」ことを。
だから、子供たちよ。死を選ぼうとしている人たちよ。
まず、逃げる方法を必死になって探してほしい。
そして、誰かにひとこと「助けて」と言う勇気を持ってもらいたい。
君たちより生きる知恵を持っている大人もいるのだから。