見える世界。見えない世界。(その2)

文明の側面に潜む闇

文明は人類に溢れんばかりの豊かさと、飛躍的に広がる能力を植えつけた。


文明という少し異臭の漂う甘い果実から顔をそむけると、時おり腐敗した皮の内部を
除かせるときがある。







安藤(歌川)広重の浮世絵に描かれている東海道の風景は、当時の旅人の心情を想像させて
くれます。草履を履き、最低限の荷物を担ぎ、自然の風景の一部として存在する旅人。


己の気力と体力だけが動力で、決しておもねることのない自然にうかがいながら足を進めて
いく。


この時代の人々に、現代の車社会を想像できたでしょうか。


喉が渇いたらいつでも好みの冷えた飲み物が手に入るなどと、いったい誰がイメージできる
でしょうか。

 
いつでも、どこでも、誰とでも話ができる携帯電話。


世界中の情報を即座に集め、直ちに己の欲求を満たしてくれるインターネット。


「便利な世の中になったねー」と、少し間の抜けた感覚しかもてない現代人には、飛脚
が何日もかけて届ける1通の手紙に書かれたわずかな情報を、冷房もテレビもない部屋で
待つことができるでしょうか・・・。


快適(自我を満たす)さと引き換えに差し出したものは「忍耐力」であり、「犠牲のこころ」
なのではないでしょうか。体力は確実に落ち、想像する力や五感が持てる能力をすっかり低下
させてしまったようです。


待たされることに、異常なまでの苛立ちを見せる人びと。


自己の利益に繋がらないことは絶対に許せない人びと。


自我が成立しないと、キレル選択肢しかもたない人びと。


自分が生きている世界とバーチャルな世界との境界が崩れ、血の流れる生命にでさえ痛み
を覚えずに終了ボタンを押してしまう若者。



医療少年院勤務の精神科医である岡田尊司さんは著書の「脳内汚染」で、

「IT社会に生きる我々が直面している問題は、物質による環境汚染だけではない。もっと深刻な問題となりつつあるのが、非物質である情報による、心の中の環境汚染なのである。情報は現代文化そのものであり、あらゆるところに浸透しているだけでなく、われわれ現代人自身が、1日たりとも、過剰な情報のシャワーを浴びずには生きた心地がしない『情報依存症』であるからだ」

とし、多くの少年犯罪者とかかわってきた精神科医という立場から、テレビやコンピュータの弊害やこれらが犯罪者の脳を作り出す一因にもなる危険性を説き、警鐘を慣らしています。


文明を隠れみのにして、背後から忍び寄ってくる「光」は、確かに魅力的に映し出す力があります。


しかし、光を失ったときに「闇」は、凍りつくような姿で私たちの前で本性を現わすのです。