生きる意味「もう一つのオリンピック」
昨年の8月に開催された、史上最多となる204の国が参加した北京オリンピック。開催さえ危ぶまれた大国の祭典は、開催国の威信を保ち金メダル51個という強さを世界に示し、参加国の頂点におさまった。
北京オリンピックでは、改めてこの祭典の意義を考えさせられました。
「緑の五輪」「人文五輪」「科学技術五輪」の三大テーマを掲げ、スケールの大きさとともに、底知れぬ不気味ささえ漂わせた開会式の演出には、驚かされたと同時に釈然としない違和感を覚えさせられたようです。
また、舞台裏でなされていたことからも、政治化してしまったオリンピックの実態を露呈したようでした。
「参加することに意義がある」とは、近代オリンピックの父IOC会長クーベルタンの言葉です。1908年に開催された第4回のロンドン大会で、アメリカとイギリスが陸上競技中にトラブルを起こし、それが火種となり両国の感情に火が点き収集がつかない状態まで発展してしまった。
そんな中、日曜日に行われたミサで、エチェルバート・タルボット司教は各国選手に向って、「この五輪で重要なことは、勝利するより、むしろ参加したことであろう」と説いたそうです。
その言葉に感激したクーベルタン会長が、大会役員を前に演説した内容とされています。選手の人格や努力には目もくれずにメダルを取ることだけが目的になり、また、国家の力に見栄を加えたイミテーションを陳列するショールームに変えてしまったことへの、現代にも生きる戒めではないでしょうか。
参加者はみんな、金メダル!
さて、私たちもすでに全員オリンピックに参加しているのです。
「もうひとつのオリンピック」に・・・。
ここでは、政治も、いたずらに評価する評論家も無責任な観客も存在しません。参加しているのは「あなた」と、この宇宙という空間や時間を、そしてあなたの人生を創造された創造主だけです。
4年に一度ではありません。まして、「速くなくても」「遠くに跳べなくても」「力強くなくても」良いのです。
ありのままで、誰とも競うことなく、その人に与えられた種目を楽しむのです。
あなたを創造された主体とともに。
それが生きる意味なのです。
あなたの人生なのです。
人にはむいていること、むかないことがあります。
そして、力のある人にない人。あるいは、身体に障害があり同じように競技ができないこともあります。
これは、それぞれがもつ個性なのです。競争原理が働く格差社会においては、クッキリと優劣は現れます。
でも、人生の本当の目的にまで、この消えてなくなる世界の原理を持ち込むところから不幸が生まれるのです。