生きる意味「もう一つのオリンピック」(その2)
それぞれが、作者のマスターピース(最高傑作品)
39歳でいのちを奪われたマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師は、たまたま黒人として生まれてきたために人権も与えられずに、理不尽な迫害を受け失意の中にあっても「I Have a Dream(私には夢がある)」と、白人や黒人が25万人集まる中で魂の演説をした。
肌の色が違って生まれてきたことは「必然なのだよ」と、当時の彼らに向って果たして言い放つことはできるでしょうか。
この世の富を手中におさめ、何不自由なく生涯を送っているように見える人と、病の床で天井を眺めていることにしか時間を費やす術がなく生涯を終える人とでは、何が違うのでしょうか。
幼子を残し、26歳という若さで人生の幕を閉じた金子みすゞさんの詩には、先の問にたいする答えがあるように思います。
「私と小鳥と鈴と」
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
地面(じべた)を速くは走れない。
私が身体をゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに、
たくさんな歌はしらないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
「金子みすゞ全集」(JULA出版局)
私たち一人ひとりは、作者から見たらかけがいのない存在なのです。
他人と比べて、とても優劣をつけることなどできません。
空を飛べなくても、きれいな音色を奏でることができなくても、
「みんないい」のです。
作者が意図して造ったのですから。
あとは作者のために、自分なりに100%生きればいいのです。
ありのままを演じるだけでいいのです。
人生はまさに「参加することにこそ、意義があるの」です。
途中放棄せずに最後まで頑張った人には、表彰台で首にかけてもらえる金メダルが待っています。
そして、今まで生きてきた理由が、
生まれてきた理由が、そこから始まるのです。
新約聖書 ローマ8章18節
「今の時のいろいろの苦しみは、
将来私たちに掲示されようとしている栄光に比べれば、
取るに足りないものと私は考えます」
「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と、聖書は言います。
あなたも、平安と希望の旅に出かけませんか?
※使用したイラスト→http://putiya.com/4riyou.html#eiri