秋桜(コスモス)そして、百恵ちゃんの秋。

今週のお題




普通に憧れたアイドルの最後の生放送。


このあと、普通の家庭の主婦になっていきました。



書斎に積まれた本の中から、ある見出しが目に入った。タイトルは「妻・山口百恵の真実」(文藝春秋・2005年9月号)。実は本屋で立ち読みをした際に、その内容に懐かしさと共にここちよい衝撃さえ覚え購入したものです。


夫である三浦友和さんが語った、百恵さんと築いた家庭が描かれていました。


山口百恵森昌子桜田淳子の三人は「中三トリオ」として、当時のテレビ画面を飾っていました。なかでも山口百恵の存在は異彩を放っていたようにも感じられました。


そんな人気絶頂にあったアイドルが、あるときからスポットライトを避け、姿を露出させることがなくなったのです。三浦友和さんとの結婚を機に。


このインタビュー記事を書いた記者は、「『専業主婦』は家庭を支えるかけがえのない存在だが、なぜスターの座より優先させるのか。それは、わたしの理解を超えていた」と、はじめに正直な思いを書いています。


ここに度々出てくる「普通の家庭」、「普通の主婦」、という言葉に隠されている「人間の原点」をみさせてもらった気がしました。


普通に憧れて・・・。

あらためて普通という言葉の意味を考えてしまいました。学生時代はひとより良い成績をとるために勉強をし、社会に出てからはより良い仕事に就き、高い収入高い地位を目指すために多くのものを犠牲にし・・・。そこまでして手に入れた(手に入れようとした)ものが満たしてくれたものは、はたして何だったのだろうか・・・。


皮肉にも、この初々しい中三トリオに好感を抱いていた年代(オジサン)の行き詰まりからくる自殺が、相変わらず減ることがない。


普通ではなく、この普通の枠から飛び出すために多くの人たちは、盲目的にひとつの方向へと突き動かされていった。


この夫婦はどうであったのでしょうか。三浦さんは今も芸能界で活躍しています。一方、百恵さんは今でも人気女優として活躍できるでしょうが普通の専業主婦として、築いた家庭の座に、しっかりと根を張っています。本によると、芸能関係者や近所の主婦は百恵さんを「普通の主婦」、「飾らない・・・」、「律儀な・・・」等と形容しているようです。そして、百恵さんは「『普通』というのがわからないなりに『普通』になろうと努力した」とも書いてありました。






原点となる家庭

頂点にも届いたこの二人が目指した先は、以外にも普通の家庭でした。さらなる物質的な所有物ではなく、そして地位でもなく、ごく普通の家庭でした。当たり前に買い物に出かけ、子供の学校の行事に参加し、家族が揃って食事をする。それを理想としていたそうです。


「共通の趣味はありますか」との質問に三浦さんは「うーん、映画は夫婦でよく観に行きますね。最近も『宇宙戦争』を観てきました。そうそう、映画の帰りに妻といろんな話をしながら家路につくというのが、まあ、趣味の延長かな・・・」


「いろんな話をしながら」・・・。わたしは、何度もこの部分を目で追い、あの記憶に残るアイドル時代の百恵さんと三浦さんの、普通の姿を思い描こうとしていました。


くっきりと映し出された映像の向こうに、人生を、夫婦を、そして「普通の家庭」をエンジョイしている二人のシルエットを見ることができました。


驚いたことに喧嘩さえも、三浦家には存在しないそうです。「喧嘩はきらいです。きらいだから避ける」「兄弟喧嘩も小学校の低学年のときに一度あっただけ」「親子喧嘩はまずないですね」。夫婦で、親子で尊重しあい、子供は親を尊敬し弟は兄を尊敬している。あまりにもできすぎているはなしを一時は訝ったものですが、一瞬でもそんな思いにとらわれた自分を恥じてしまいました。


「普通の家庭」をつくるという点では思い通りになったか、という問に三浦さんは淀みなくなくこう言ったそうです。「この25年を振り返ると、子供も含めて、ものすごく幸せに来れたと思っています。人に言うことはできないけれど、家庭も本当にうまくいったなという自負はある。妻には感謝しています。こどもにももちろん感謝しています。子供も妻も僕にきっと感謝しているだろうなと思うんです。自惚れではなくてね」そして、「百恵さんと結婚してよかったですか」と尋ねると、間髪入れずに「もちろんです。彼女と結婚していなかったら、きっとつまらない人生だったでしょう。妻がいて、子供がいて、25年以上も一緒に歩んでこれたんです。面白かったし、きっとこれからも面白い人生のはずです」。


ここまで読み終えたときに様々な思いが交錯し、しばらく時を忘れてしまいました。ふと、「中三トリオ」の他の二人が頭の中に登場し、くっきりとしたコントラストで映し出されました。この明暗はなんだったのだろう・・・。


最後にこの記事を書いた記者は「これが二人の言う『普通の家庭』なのだろうか。この12月、二人は銀婚式を迎える。わたしは継ぐ言葉を失っていた」と締めくくっています。


記者だけでなく私たちも同様に「普通の家庭」という言葉から、この三浦夫婦の家庭を即座にイメージすることができるでしょうか。余りにも普通が普通でなくなってしまった今の社会から、そして家庭から。


人生は楽しむためにあるものではないでしょうか。夫婦で家庭で、楽しむことができたら、周りの景色も違って見えてくるようです。三浦夫婦のように夫婦で人生を楽しんでいれば、子供たちもきっと人生の豊かさと楽しみを見出すことができるようになるはずです。


この記事を読み終えて、改めて「人生」を考えました。こころの印画紙に浮かび上がってきた言葉は「普通に人生を楽しむ」でした。無理に背伸びするのでもなく、他人と比較して命を焦がすのでもなく、普通でよいのです。


この長い人生という旅の、己に与えられた分を楽しむことができたら、そのひとは間違いなく幸せなのです。


そろそろ人生の秋を迎える百恵さんも、小春日和の陽だまりに揺られ、母の愛を家族の愛を噛み締めていることでしょう。