何故、死を選択するのか・・・。

憧れていたひとや、目標としていたひとを失うことは寂しいものだ。しかも、自殺というかたちで・・・。


常に音楽の最先端を走り続けたといわれる、加藤和彦さんが軽井沢のホテルで、自ら生きるのを止めてしまった。


何があったのかは、本人にしか解らない。死ぬほどの苦しみも、一緒に味わうことなどはできない。だから、わかったようなことは言うまい。


それでも、この世が見せる幻影の頂点に迷い込んでしまった人びとは、支えであった横だけの関係を失うときに、生きている平衡感覚を喪失してしまうようだ。


これは恐ろしいことである。やはりひとは、横だけの関係だけでなく、縦の関係、つまり、神との関係を回復しなければならないことを、そろそろ気がつくべきだと思う。


もちろん、死は終わりではない。都合よく生まれ変わることもない。


そんな人間の、エゴ(原罪)や苦しみ、そして弱さをご存知で、自ら苦しみに耐えて十字架で人類救済のために死なれたイエス・キリストを知ることができたら、そのひとは幸いです。


なぜなら、「信じるだけ」で苦しみから解放されるだけでなく、神の国の相続人としてくださるのです。


こんな、都合の良い話が、ゴスペル(良い知らせ)なのです。


「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(新約聖書 ヨハネ福音書3章16節)