究極の祈り
もし、神がいるとしたら、あなたは何を祈る(願う)のだろうか・・・。
家族の健康や幸せを願う人は多いだろう。
商売の繁盛や、または、苦境にある人は、無事に過ごせるように願うだろう。
自己願望のために、いるかいないか分からないけれど・・・、すがる気持ちで苦しいときの神頼み・・・。
はたして、人びとは神という存在をどう考えているのだろうか。
別の言い方をすれば、「人が神に仕えている」のだろうか・・・。それとも「神が人に仕えている」のだろうか・・・。
ある人のブログでドキリとした。この方の表現を借りれば、「神よ、何をさしおいても、先ずはあなたが幸せになって下さい」と祈れと。
http://yamaxst.blogspot.com/2010/01/blog-post_07.html
なんと、素直なのか。大好きなお父さんを労わる幼子のように・・・。
イエス・キリストは、祈りを教えてくださいという弟子に、こう言われた。
「そこでイエスは、彼らに言われた。祈るときには、こう言いなさい。『父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。』」 (新約聖書・ルカの福音書11章2節)
この地上で、神は崇められているだろうか。
自己中心主義の人間に、ご利益のみを求められる存在と化してしまった。
「天の父なる神様、私たちの全ての罪の元である自己中心をお赦しください。この罪のために他人を愛することができません。また、神様から離れて自分勝手な生き方をしています。それでも、御子であるイエス様をわたしたちの罪の贖いとして、十字架につけてくださいました。それは、自分ではどうしようもないこの罪を、イエス様の流された血によって、私たちを清めてくださり、あなたの子としてくださるためです。主よ感謝します。どうぞこれからは、あなたを喜ばす存在となることができますように。イエス・キリストのお名前を通して祈ります。アーメン」