年寄り時間?

先日、母から電話が来た。


いつもの「どうしてるコール」だ。


何ヶ月も顔を見なかったり、電話もしなっかたりしているのなら分かるが、
第一声は「元気なのー」「手紙届いたのー」・・・と、明らかに不満の声。


「元気だよー、先週も話したばっかりじゃないのー」。忙しかったことや、
少しうっとうしさも感じ、愛想もなく電話を切った。




桜山公園から眺める越生の街




またやってしまった。電話を切った後に、相手の気持ちを理解しようと
しなかった自分に腹を立てる。


母の前を流れる時間は私の生活環境や日常の時間とはまったく違う。
やるべき優先順位が違えば、目の前に山積する懸案事項もないだろう。
語弊を覚悟で言えば「暇」なのだ。


私たちには1週間でも、お年寄りにとっては1ヶ月かそれ以上のようだ。


子どもには子どもの目線、お年寄りにはお年寄りの目線にたって考える
余裕が必要になる。


それにしても、「相手の立場に立って考える」ことの難しさ。自己中心
という人間の原罪はなくなることはない。


私たちに与えられたたった一つの「あなたの隣人を愛せ」というキリストの
戒めさえ守ることができない人間って・・・。


私たちにできることは、神の前には何もできない私たちに代わって十字架で
死なれたイエス・キリストを受け入れ、「私の中で生きていただく」ことだけ
なのです。