死より大切なこと!
じいさんの知人がまたひとり、亡くなった・・・。先日も、「どこそこの○○は、牛舎の屋根を直そうとしてはしごを踏み外して、落っこちて死んじまったんだー。しばらく誰にも発見されなくて、何日かたってから近所の人が見つけてよう・・・。」という話をしていました。
下を向きながらポツリと、「○○のとむれー(弔い)をしたんだ。」
「そうだったんだ。弔いをしたんだ・・・。寂しくなるねー・・・。」
「うん・・・。」その後に何か言いたそうだったが、口を開きませんでした。
しばらくの沈黙が続き・・・、
ふと、イエス様とラザロの話が思い起こされた。「○○さんねー。イエス様は色々と奇蹟を行なったことは知っているよねー。病人を治したりとか・・・。」
「なんだか・・・、よくわかんねぇー・・・。」
「○○さん、ところで、死より大切なことがあるのを知っている?」
「・・・・・・・。」
「ラザロっていう人はね、イエス様が愛した人だったんだ。その人が病気だった時に、違う場所にいて病人を癒したり、救いのことを人々に話していたんだ。」
じいさんは、いつもの姿勢で黙って聞いていました。
「ところが、ラザロっていう人は死んじゃったんだ。病気だって聞いていたのにすぐには行かないでその場所にいたために・・・。結局イエス様がラザロのところに行ったときには、死んでから4日も経っていたんだ。」
「奇蹟を行なうことができるんだから、早く行ってあげてれば死ぬことはなかったのにねー。○○さん、ねー。」
「うん・・・。」
「ラザロの姉妹からも同じようなことを言われて、でも、一番悲しまれたのはイエス様ご自身だったんですよ。なぜなら、ラザロを愛していたからなんだ。」
「それだったら、病気だと知ったとき、すぐに行って治してあげれば良かったのに、って思うよね。姉妹も当然悲しんだし、ご自身も悲しまれて怒りさえ(死に対して)覚えられたんだから。」
「あぁ・・・、うん・・・。」
「イエス様は、死よりも大切なものがあることを教えたかったんです。ラザロの死を通して・・・。」
結局この時はラザロを蘇らせましたが、「その大切なものとは、永遠の命のことなんですよ。」と、ここまで話してじいさんを見ると・・・。
下を向いていたはずのじいさんが私の目を見て、口元を少しゆるめました。いつもの達人じいさんでしたら、すぐに切り替えしが飛んでくるところです。
嬉しくなって微笑み返すと、「俺なんかそのまま死んじまいてぇんだー。だけど、まだ死ねねぇーようだ。」と、なんだか嬉しそうに話すのでした。
「○○ちゃんねー、イエス様がね、信じるまで死なせてくれないんだよ。」
「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていて私を信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。』」 (ヨハネ11:25,26)