神は、乗り越えることのできない試練は与えない!?

あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。
神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に
会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、
試練とともに、脱出の道も備えてくださいます
。」(コリントⅠ・10:13)



あるテレビ番組でこの言葉が使われていました。この言葉は聖書(聖句)からの引用ですが、
多くの人は誤用しているようです。


この聖句のポイントは「神」と「試練」の二つにあります。
つまり、神(唯一)を信じる信仰の道のりで出会う試練のことを言っているのです。


そして、試練ですから意味があります。


信仰とはなんでしょうか。聖書によれば「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、
見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認め
られました。信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造
され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが
分かるのです
。」(新共同訳へブライ人への手紙11章1〜3節)と、あります。


神を見ることはできませんが、信仰によって「生きておられることを確信」できます。
信仰によって、神がわたしたちに成してくださった事実を、自分のものにできるのです。


「見えない約束された事柄」を期待してこの物質の誘惑の多い世の中を生きる
わけですから、目標に向かう原動力が必要です。


それは、「天の御国の相続」という確かな希望です。


この目に見える物質の世界はやがて終わります。そこから新しい世界がはじまるのです。
それが天国といわれる「イエス・キリストを信じ受け入れた人々」が神とともに暮らす
永遠に朽ちない世界です。(神はすべての人と暮らすことを望んでおられるのです


そこでは悲しみや苦しみ、争いごともありません。人々が神の愛の中で生きるのです。
見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。
また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。
もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。
なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである
。」(ヨハネの黙示録21:3,4)


聖書には「約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐だ」(ヘブル11:36)ともあります。


また、「試練を喜べ」(ヤコブ1:2)と書いてあります。それは、「患難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです
。」
(ローマ5:3,4)


そしてこの希望は「失望に終わることがありません。」(ローマ5:5)


試練は見えないものを待ち望む者にとって必要なことであり、試練によって育まれた忍耐が
希望を確信に変えてくれるのです。