霊的飢饉がやってくる!?


「見よ、その日が来ればと
主なる神は言われる。
わたしは大地に飢えを送る。
それはパンに飢えることでもなく
水に渇くことでもなく
主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。」

(新共同訳 アモス書8:11)




物が豊富にあふれている現代、飢えで亡くなる方はほとんどいません。


ところで、信仰で歩む私たちにとっての飢えとは何でしょうか。


イスラエル王国が全盛時代、片田舎の羊飼いであったアモスは都会に出て、
遠慮なく大胆に「神の裁きがある」ことを語りました。


選民意識が強かったイスラエルは、どこか、何をしていても神から離される
はずがない、と過信していたのかもしれません。


形式的な礼拝(祭り)さえ忌むべきものにされ、神の律法を知りながらも神に
背を向けていました。


わたしたちも、注意が必要です。見せ掛けだけの「夏の果物」になっていないか。
主の道から外れてはいないだろうか。御霊の機能は働いているだろうか。


いつでも主は「わたしを求めて生きよ」とかすかな声で招いていてくださいます。


主の祝福も恵みも、戒めさえも絶たれてしまう霊的飢饉(?)が来る前に・・・。