救いは誰のもの?


「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、
喜び叫びながら帰って来る。」
詩篇126:5,6)




ある教会の方がトラクトや集会の案内(チラシ)を配ることは無駄だと判断し、
ある時から配ることを止めたそうです。


たしかに無駄だと感じることは正直あります。


以前、会社勤めをしていた時に新商品の宣伝や調査もかねて、無差別に電話で
営業をしたことがあります。電話営業の世界では、センミツという業界用語があり
ます(今はどうか・・・?)。千軒に電話をかけて三軒の顧客を獲得できれば良い
と言う意味です。


私たちもクリスマスや礼拝案内のチラシを配りますが、センミツも望めません。


配布先で怒られることもあります。むなしさを覚えるときもあります。悲しく
なることもあるでしょう。


それでも、主のみこころを行なうものは「喜び叫びながら帰って来る」ことが
約束されていることを忘れてはなりません。


私たちにできることは「良い知らせ」を案内することです。いや、案内するだけ
なのです。


そこから先は主の仕事です。


なぜなら、「救いは主のもの」(ヨナ2:9)だからです。


主に働きを委ねたとき、大きな喜びの収穫が待っているから感謝です。