いじめにみる、人の罪と悔い改め(その3)


主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを
遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対し
て忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、
すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

(Ⅱペテロ3:9)



3.責任をとることの意味(悔い改め)


今回のいじめ事件は中学生が自殺においやられた、あってはならない悲惨
なできごとです。と同時に、誰も責任を取らない(責任すらかんじていない?)
という無神経な責任者を創り上げた社会に恐怖を覚えます。


責任を取ることの恐れがあるのでしょうか。責任を取ることは、社会的な終わ
りにつながるような風潮が、今の社会にはあるのでしょうか。


いつでもやり直しがきく」世の中にしなければなりません。


さて、神との関係においても考えてみます。


私たち全ての人類に「罪」があることは示しました。聖書には、とても重要なこ
とが書かれています。「罪がある」状態は「神から離れている」ということです。


そして、神から離れているということは、「永遠の死(地獄)」を意味します。
人は死ぬことと、死後に裁きがある」(ヘブル9:27)とあるのです。


社会の中でうまくたちまわって罪の罰からすり抜けたとしても、神から逃れ
ることなど不可能です。必ず神の裁きの座に立たされるのです。


罪には悔い改め(責任を取ること)が必要です。完全なる義のお方(神)は
愛なるお方でもあります。「ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が
悔い改めに進むことを望まれるのです
。」(Ⅱペテロ3:9)


神との関係では、責任を取る(悔い改め)ことは敗北ではありません。いや
それどころか、悔い改めの先には大いなる祝福がまっています。


聖書には、この罪が入った不完全な世の中はやがて終わる、と書いてあり
ます。


その先に続く、永遠の時をどこで過ごすかを誰もが今、決断しなくてはなり
ません。罪のある状態では天の御国には入ることができないのです。


ひとりも滅びることを望まない愛の神は、誰でも天の御国に入ることのでき
る道を開いてくださりました。


それが、世界で一番有名な、聖書にある神の祝福の言葉です。「神は、実に
そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者
が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである
。」(ヨハネ3:
16)


私たちを罪の世から救い出し、永遠のいのちへの道となられた主イエス・キリ
ストを信じて受け入れ、死の先にある明確な希望へ向かってあなたも歩んで
ゆきませんか。