いじめにみる、人の罪と悔い改め(その2)


愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。・・・・・
(Ⅰヨハネ4:7)



2.愛し合いながら生きていく


前回で「全人類の罪」を示しました。罪がある故に、他人を受け入れること
の難しさを知りました。


人はそれぞれ皆違う個性を与えられ、神から断絶されたこの世を生きていか
なければなりません。


しかし憐れみ深い神は、もとの関係を築き、ご自分のもとに帰ってくる道を
開いてくださったのです。これが、エス・キリストの十字架の贖いです。


そして、自分の基準を設けて生きるという不完全な私たちが、人と共に生き
ていくためには「愛が必要」だ、と言われます。


愛を知らなかった私たちに、まず神が御子であるイエスを私たちが受け
なければならなかった罰の身代わりにする、という神の愛を示してくだ
さった
」(Ⅰヨハネ4:9、10)のです。


これほどの愛を表してくださったのだから、「あなたがたも少しは見習って
愛し合うべきだ
」(4:11)とヨハネは神の思いを教えています。


それでは具体的に「愛し合う」とは・・・。


それは、それぞれ、その人の生きていくために不足している分を補い合えば
良いのです。力があればない人に、知恵があれば出せばよい。時間がある
ならない人に、たまたま経済的に余裕があればない人の分を補う。


ただ、それだけのことです。(これが、できないのですが・・・)


みんな違うから学び合えるし、個性があるから人は楽しい。


世界に一つだけの花」という歌がありました。「ナンバーワンにならなくてい
い、もともと特別なオンリーワン」という歌詞です。


この資本主義の世の中は、ナンバーワンを求めています。人との関係(横)
では、一般的にはオンリーワンという考え方は成り立たないでしょう。


オンリーワンで良いと認めてくれる存在がいて成立します。それは、神との
縦の関係でのみ生きてくるのです。


神から見れば私たちは皆、「特別なオンリーワン」なのです。なぜなら、代わ
りのきかない存在だからです。


こうやって愛し合い(助け合って)ながら生きていくことを神は望んでおられ
るのであり、本来の人の姿であるはずです。ただこのように生きることを嫌
い、「神から引き離なし欲望の海にもどそうと日夜心に働きかけているのが
サタンや悪霊
」(エペソ6:12)だということも忘れてはなりません。<次に続きます。>