じいさんが、ついに・・・?

久しぶりに登場(?)するじいさんですが・・・、


あれ程に、頑なに拒否していた集団生活(老人ホーム)でしたが、
ついにお世話になることに。


常日頃、「たとえ一人で動けなくなっても、施設に入るくらいなら
のたれ死んだほうがましだ!!」と言い放っていたじいさん。


去年の10月の終り頃ですが、ヘルパーさんがいつものように訪問
して来たとき、じいさんが部屋で倒れていた(意識はハッキリして
いた)とのことでした。


それで、役場の高齢者福祉課の担当者に連絡して病院で検査して、
そのまま帰すわけにはいかず、ヘルパーさんが所属している施設
に身柄を拘束(?)されました。


初めは、施設のヘルパーさんや入居されている他の方々とはほと
んど口を利くこともなかったじいさんですが、今では一緒に歌も
歌うほどになったそうです。


一週間に一度くらいは顔を出すのですが、暖かい部屋と温かい
食事に満足している様子。


先日も訪問して、じっくりと話に耳を傾けていると、「早く、おい
とましてぇんだ(早く死にたいの意)」と、いつもの決まり文句。


最近わかったのですが、実はじいさん、この言葉を言うと私が
心配して「神様のことやこの世がすべてではなく天国や地獄が
あること」を決まって話すものだから、それを「聞きたい」と
願っているようなのです。そして、心配してくれる誰かがいる
ことを喜んでいるのです。


「神様も○○さんがキリストを通して天の国へ帰ってくることを
望んでいるんだよ」と言うと、「誰も、見て来た者は、いねぇんだ」
と、勝ち誇ったように笑みを浮かべるのでした。


切り替えしトークのたけたじいさん。


こちらも、営業で培ったテクニック(?)で相手の意見を否定せず、
受け入れてから・・・、


「そうだね、できるものなら見学に行きたいものだね」と同調し、
続けて「わたし達は残念ながら、今は行くことができないけれど、
聖書を書いた一人のパウロという信仰の先生は行って、それで
帰って来たんだよ」というと・・・。


勝ち誇ったような微笑が一瞬消えて、しばらくして「ふーん」。


最近少し素直になったじいさんの横顔に、「頑固な○○さんが、
エス様を信じることができるように、祈っているからね」と
言い席を立つ。


少し間があってから、


「はい。お願いします・・・。」


ほんの少しづつですが、たしかに主はじいさんの頑なな心を溶かし
て下さっているのです。



主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを
遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して
忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべ
ての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです
。」
(ペテロⅡ・3:9)