霊的マンネリ化

・・・・・あなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え
立たせてください
。神が私たちに与えてくださったものは、
おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊です
。」
(テモテⅡ・1:6,7)




先月、教会の兄弟の家で新年会を行ないました。ブラジル日系人
奥さんとイラン人のご主人、二人の女の子の四人家族です。


ご主人がイラン料理(羊肉のケバブ)を振舞ってくださり、とても楽し
いひと時をもつことができました。


ケバブは羊の肉をミンチにし金串にさして焼きますので、季節はずれ
のバーベキューとなりました。


ご主人を一人寒い中に放って置くわけにもいかず、炭火の火力調整
のお手伝いをしていました。炭が少し湿けっていたこともあり、油断し
ていると火力が弱ったり消えそうになったり。


バーベキュー料理は火加減と、何より火を消すことがないように注意
して見張っていて、適当なタイミングで炭を補給することが、大切な
仕事となります。


・・・誰でも知っている、という声がしそうですが。


これは、まったく信仰生活にもあてはまることなのです。


初めの感動は薄れ、「主のみこころ」より「自分のこころ」に気をとら
れ、エジプトのかぐわしい香りに身を委ねて歩んでいることにも気が
つかなくなってしまう・・・。


これは大変恐ろしいことです。


キリスト者は、たえず自分を吟味(火の見張り)し、一人ひとりに与えら
れた「御霊の火を消さない」(テサロニケⅠ・5:19)ようにしたいも
のです。


そのために、みことばのまきを補給し、たえず祈りという新鮮な空気
取り入れ、主の約束を固く信じてそれを喜びにかえて、感謝していること、
そして、主のみこころを行うことが「御霊の火を消さない」ことであり、
御霊に満たされる」(エペソ5:16)ことではないでしょうか。