義人は信仰によって生きる

私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめ
ギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる
神の力です。


なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義
は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰に
よって生きる。』と書いてあるとおりです。(ローマ1:16、17)







「41人の回心物語」(いのちのことば社刊)より転載・・・・・・・・・・
迷える修道士への光:マルティン・ルター


「私の罪、私の罪」。若い修道士はそう叫びながら、修道院長の
前で床にひれ伏した。


「私に神の恵みをください、あなたの恵みをもください」と、彼は
嘆願したのである。


「貧しさ、純潔、そして服従を、あなたの心からの友としなければ
なりませんぞ」と、修道院長は言い渡すのであった。


ドイツの農夫の子である若いマルティン・ルターは厳粛な誓いを
した。それから、毛織の下着、黒いガウン、短い頭巾、そして黒
い帯を締めて、彼は行いによって神のあわれみを求め始めた。


こうして、彼はどんなに真剣にそれを実行したことであろう。とき
には幾日も断食した。夜は毛布も使わず、苦行をつづけたが、
そのために、もう少しでこごえ死ぬばかりになったこともあった。


彼は床にひれ伏し、うめくように祈ったものである。


後日、彼はこんなふうに書いている。


「もし修道士が、修道院での生活によって、天国へ行けるとすれ
ば、私は天国に到達していたことだろう。・・・もし私が、もうしばら
く黙想し、祈り、読むなどの苦行をつづけていたなら、死んでしま
っていただろう」。


ルターの属していたアウグスティヌス会ドイツ菅区会長のヨハン・
シュタウビッツ博士は、ルターを助けようとして、この若い修道士
に語った。


「キリストが罪のゆるしです。しかし、キリストがあなたを助けて
くださるためには、ほんとうの罪のゆるしがしるされている罪の
カタログを持っていなければなりません」。


それで、ルターは自分の罪を数え上げようとした。しかし、これは
安らぎを与えてはくれなかった。彼は赤い皮のラテン語の聖書を
熱心に読みふけり、自分の重荷になっているものが取り去られる
道を捜し求めたのである。


1508年のある日、ルターは塔の中の小さな部屋で、ローマ人へ
の手紙を読んでいた。1章の17節まで読んできて、ここで最初の
光がさしこんできた。「義人は信仰によって生きる」。彼はこのこと
ばを何度も何度も頭の中でくり返した。


信仰だけで大丈夫なのだろうか。そういぶかったりした。


やがて、もう一人の修道士とともに選ばれて、アウグスティヌス
修道士の間における改善を陳情するために、彼がローマに派遣
されることになったと、修道院長から告げられた。


その知らせを聞くや、ルターの心は躍った。この聖なる都でなら、
これまでずっと心から願い求めていた霊的な平和を見つけ出すこ
とが、きっとできるにちがいない!


こうして、初めてローマの市街を見たとき、彼は、「おお、なんじ、
聖なるローマよ!」と叫びながら、ひれ伏した。


≪次に続きます≫