天使VS悪魔「親の愛情編」

昨日放映の「田舎に泊ろう」(テレビ東京)は、久々に名作と言われる映画に出会ったような嬉しい気分にさせられました。


この番組は、芸能人がふらっと訪れた見知らぬ街の民家に、自らが交渉し泊めてもらい、そこの家族との触れ合いを放送する、という内容です。


相手が一般人で、そこにはシナリオが存在しない(最近は少しパターン化したようで・・・)ので、出演者の人間性や街の人との掛け合いがおもしろい。


最近のただ無駄に電波を消費している(無駄だけなら良いが有害になった)番組の中では、まだ人間本来の姿である助け合いや人をもてなすこころが見られ、有意義な番組だと思います。
今回は歌手の八代亜紀さんが静岡県富士吉田市を訪れ、駅前の商店街で泊めてもらう民家を捜すのですが、八代さんは「泊めてください」が言えずにブラブラしていると、一人の少年が寄って来て「自宅のお店に交渉しましたか」というようなことを尋ね、八代さんを店まで案内して無事にお泊り決定となる。




※富士山の写真提供⇒http://sozai-free.com/sozai/00072html



なんでも、八代さんがこの商店街に来ていて交渉が難航している事を聞き、自ら助け舟を出してくれたそうです。別れるときには、八代さんの手を握り、泣きじゃくっていた姿が印象的でした。
この優しい少年は、きっと両親から愛情を注がれて育ったのでしょう。
八代さんはこの少年を「昭和の少年を見ているみたい」、「とても優しくて良い子」と褒めると、母親は「子供を褒められた事が嬉しい」と、涙を見せました。


つかの間の人類愛の余韻にひたっていると、一方では、少年(高校生)が同級生を白昼堂々と刺し殺す、というおぞましい事件が同じ世界で起こっています。なぜ、いとも簡単に人を殺す事ができるのでしょうか。命の重さを計る機能が欠落しているのでしょうか。


この明暗を分けるコントラストを生み出すものは、一体なんなのか。


わが身のようにこころの痛みが理解できる少年。


命の尊さや身体の苦痛を創造することもできない少年。


どこで、明と暗とに振り分けられてしまうのでしょうか・・・。


「人を愛す」ということは「人から愛されている」という連鎖から起きてくるようです。
虐待や子供を愛せないというこころの闇は、連鎖となって継続していくのです。


それでは、「愛されたことがない人は、人を愛せないのか」という大きな疑問にぶつかります。でも、確かに人との関係だけで見れば「YES」と言わざるを得ませんが、この人や宇宙を創造した主(神)に目を向ければ「NO」なのです。


これは宇宙の絶対的真理です。この方をあなたが知らなくとも、無視しようとも、人類を愛してくださるのです。


自分で不幸を選ぶのではなく、まず、愛してくださる方がいる。という真実を知ろうとしてください。そこには人の裏切りもありません。無責任な批判もありません。あるのは、無償の愛と、平安だけです。