こころの中を、のぞいてみれば。(その2)

こころの硬化!?

血管を詰らせ心臓や脳へ重い障害をもたらす動脈硬化。血管の柔軟性が損なわれ硬化した状態、
ということはご存知でしょう。


こころにも同じことが言えます。


こころに余裕があり柔軟性がある状態のときは、その人は寛容でいることができます。
マイナスのこころをぶつけてきたとしても、こころという風船の弾力性が吸収し受け止める
ことができます。


しかし、日々のストレスや自我が生み出したマグマでパンパンに詰り、疲弊したこころは柔軟性
を失い硬化症ををおこしています。


このような状態では他人のマグマを受け入れる余裕はなく、かえって相手のマイナスに共鳴し
マグマに勢いを与えてしまいます。その結果、怒りとなったマグマは相手を燃やし尽くすまで
吹き上げ、自らも焦がして傷つくのです。


今のこころの状態はいかがですか?


こころの硬化を起こしていませんか?


「相手を理解する」ということは、解っていてもなかなかできることではありません。
でも、相手を理解しようと「努力」をすることはできるはずです。


自分のこころの有りようをいつもチェックする余裕を持ち、相手を見守る度量が欲しいものですね。








対象となるものは・・・

「自分を愛すように、隣人を愛せ」と、キリストは残した。


この言葉から、他人を思いやり地球規模での人類愛へと発展させる人は多いようです。
街角では東南アジアやアフリカの恵まれない人々を救おうと、少し強引な募金活動をしている
団体もあります。


海の向こうの人びとや縁のない隣人には、懐が痛まない程度の金品を施し、ささやかな「隣人
への愛」を味わいます。もちろん、これは良い行いであることには違いありません。


これに、「責任」という二文字が付いてくるとしたらどうでしょうか。一度寄付したら、
一生し続けなければならないとしたらどうでしょう。


「そうなると話は違うよ」。これは、当たり前の反応です。


それでは、家族はどうでしょうか。子供は親を選ぶことはできません。もちろん、親も子供を
選んだわけではありません。それでも、一生付き合わなければならない存在です。


プレゼントを贈っただけで、それでおしまいとはいかないのです。家族であるがために煩わしい
存在にもなります。


人はこの不条理を背負って生きていかなければなりません。


「愛の対象」となるのは、実は家族なのです。簡単なことではありません。かえって、痛みを
伴うときもあり、忍耐も必要となってきます。


それでも、人類の核となる家族(最小単位)からあふれ出た生命の源流は、人びとの間を潤し
ながら注がれ、やがて大河となって地球上へと拡がっていくことでしょう。


これは「できないこと」であり、でも人には「なくてはならない」こころの糧なのです。


だから、キリストは過去から現在を眺め、すべての罪を包括した戒めとして、生きた言葉を
残したのです。

「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」 新約聖書