「確かな希望」
仕事や日常生活を通して、実に素敵なお年寄りに出会うことがあります。
そんなときは、なんだか得した気分にさえなります。
柔和でいつも微笑みをたやさず、謙虚で何事にも感謝のこころで・・・。
一方、この世の欲にしがみつき、先が短い(失礼)にもかかわらず、己の物欲を満たそうと、衰えた腕で抱え込み・・・。
さて、あなたはどちらになるのでしょうか?
誰にでも、必ず老いは訪れます。そして、まちがいなくこの身体は、朽ちていくのです。考えたくなくても・・・。
絶望が希望へと変えられるような、そんな人生(旅)を過ごしませんか?
キリストはそのために、この世に来られたのです。
「最上のわざ」
この世の最上のわざは何?
楽しい心で歳をとり、働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、失望しそうなとき希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう。
若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役立たずとも、
親切で柔和であること。
老いの重荷は神の賜物、
古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために。
おのれをこの世につなぐ鎖を少しずつはずしていくのは、
真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば、
それを謙虚に承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。
手は何もできない。
けれども、最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。
全てをなし終えたら、
臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。
(ヘルマン・ホイヴェルス)