生かされていることを知る。


寸分の狂いもなく、精巧にデザインされている世界


地球の生命にとって欠くことのできない太陽の光。しかし、太陽の光からは、有害な電磁波や太陽風と呼ばれる放射能をもった危険な微粒子からなる風も押し寄せてきます。


もし、太陽風が地球の表面にまで到達すれば、地球上には生命が住むことはできません。ところが、地球がもっている磁場や大気で、この危険な放射線粒子をつかまえて閉じ込めているそうです。


これは、偶然に自然がつくりだしてしまったことなのでしょうか・・・。






「この宇宙はなぜ物質だけの世界にはならず、知的生命体が存在するのか?」という疑問に、多くの科学者は、「知的生命体が存在できるように意図的にプログラムされた、と考えるほうが自然である」という答にたどり着いたそうです。


ある教授の研究によると、物質を構成している電子の質量がわずか1%違っただけでも、人間はできないそうです。また、中性子の質量が0.1%違っても生命の誕生はなかったそうです。とても、プランクトンから偶然が偶然を重ねて人間に進化したなんて考えられません。


宇宙には光速、電子の質量、重力定数、ブランク定数といった「決められた値」があり、わずかな誤差でも私達生命体は存在していなかったといわれます。少しずつ膨張をしながら、宇宙全体も絶妙なバランスを保って存在しています。このバランスもわずかに10の55乗分の1大きくなれば、銀河系も星も形成されなかった、ともいわれます。


これは、本当に偶然なのでしょうか。私たち人類をはるかに超えた「知性」が働いていたとしか考えられません。


大自然の前では


「天災は忘れた頃にやってくる」


今年も大型台風が猛威を振るった。大地を揺さぶる大地震によって、地に建つ建造物は薄氷のごとくに砕かれた。


「これは、想定外のできごとなのだろうか」大自然の底知れない力の前に、人類の無力さをまざまざと見せつけられたようです。


この足下で蠢くデリケートな球体は、計り知れない恵みと人間のエゴが創りだす虚像とを交互に映し出しているようにも思えます。この生命体にもエントロピーの法則は見え隠れしています。けれども、この法則に速度を加えているのは、私たち人間であることを知らなければなりません。


そして、自然に対する、いや、この絶妙に考え尽くされた天地を創ったクリエーター(創造主)を畏れ敬うこころは、決してなくしてはならないことなのです。


そして、生かされていることを。

「初めに、神が天と地を創造した」(旧約聖書 創世記1章1節)

「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」(旧約聖書 ヘブル人への手紙11章3節)