地上に降りた天使たち(その2)


やがて、還っていく・・・。

「老人になって、子供に返る」と言われます。
本当に、子供のように可愛いお年寄りを見かけることがあります。そんなお年寄にふれると、「上手に人生を過ごしているんだな」と、敬服させられてしまいます。
まるで、本来の姿(天使?)に戻っていくように感じられます。
身の回りの方や自分をしみじみ眺めて、「まさか、そんな・・・」と、笑われるかもしれません。天使のイメージから自分を当てはめて考えることは難しいですが、生命の設計図(DNA)に刻み込まれているプログラムの概念で考えてみましょう。



老化現象は、還る準備だ。

「歳をとると忘れっぽくなって・・」と、ぼやくことはありませんか?
「都合の悪いことは忘れちゃうんだから」と、周囲から疎まれることはありませんか?



「忘れる」ということは、過去から解放されることなのです。
身体が自由に動かせなくなって、苛立つこともあるでしょう。
老いの重荷を、投げ出してしまいたくなることもあるでしょう。
でも、これは誰もが通っていく過程です。そして、だれにでも例外なく死は訪れます。
けれども、これは大いなる喜びへと変えることができるのです。そして、死とは「生命の源(創造主)に還っていく現象」なのです。


だから、「老化現象」とは、この世から離れていく「準備期間」といえるのです。


「最近は気力も衰えて、好きなこともできなくなった・・・」
確かに失うことは辛いことではありますが、この世の価値に染まってきた私たちに、少しずつこの世の価値から離れていく過程を教えてくれているのです。


「老い」というメカニズムを通して。


必要以上の欲に支配され、自分の力で掴んだ財産や栄光を離すものかと力んだところで、形のあるモノ、目に映るモノは所詮、消えてなくなるのです。
健康管理や身体のメンテナンスは必要でしょう。けれども、この朽ちていく身体を必要以上に飾ることは意味がなく、また、この世から自然に離れていく妨げとなるばかりです。
「それは・・・、分かるけど・・・。でもねー」
これは、ほとんどの人が見せる正直な反応でしょう。
だからこそ人間には、この「老化現象」が必要になってくるのですね。
あとは素直にこの「老い」を楽しむことができれば素敵ですね。



終末期医療の先駆者として有名な精神科医エリザベス・キューブラー・ロス博士は、著書の「死ぬ瞬間」の中で、死を目前に迎えた人の心の動きを「否認・孤立」「怒り」「取引き」「抑鬱」「受容」の5段階で説明しています。
誰でも死の宣告を告げられたら否認するでしょう。「何で私なんだ」と現実が理解できずに、怒りをぶつけるかもしれません。そして、「神や仏もない」と言っていた人でも「もし生かしてくれたなら、なんでもします」というように、取引き(すがる)をするようです。次第に静かにこころが外から内に向っていき、やがて死を受け入れる(受容)ことができるそうです。
ここで大切なのは「断念」するのではなく「受け入れる」ということです。
断念からは希望という未来をみることができません。すべてを託して、委ね受け入れることができたなら、その人は、間違いなく平安と輝く未来を得るでしょう。



すべてを手放すこと

古代インドでは生涯を4つの時期に分け、それぞれの生き方を示していたそうです。
五木寛之氏著の「林住期」によれば、

1.よく学び、身体を鍛える(0〜25歳)「学生期(がくしょうき)」
2.仕事に励み、家庭を維持する(25〜50歳)「家住期(かじゅうき)」
3.仕事を離れ、生きがいを探す(50〜75歳)「林住期(りんじゅうき)」
4.自らの死に方について考える(75〜100歳)「遊業期(ゆうぎょうき)」


となるそうです。


言葉を変えて言えば、世の中で生き抜く術を学び、社会から他の人から奪い取り、この世の深部へと根を張ることが学生期から家住期であり、林住期や遊行期では、自分の人生を振り返りながら少しずつ大地から根を引き抜き、掴んでいるモノを手放していくのが自然な姿なのではないでしょうか。





それでは、死をも越えた「平安・希望」とは何でしょうか。


掴んでいたモノを手放すほどに価値あるモノとは、いったい何でしょうか。


それが私たち人類に与えられている、キリスト(救い主)の愛なのです。


イエス・キリストは私たちがこの地上での生活を終えた後(これは肉体の死です)に、この大自然を創造された唯一の神(創造主)のもとへ導いてくださるのです。
誰でもこの「平安と確かな希望」を自分のものとすることができるのです。



そのためには、「イエス・キリストを救い主として信じること」なのです。
ただ、それだけなのです。いや、それしか方法はないのです。
ただ、「信じる」だけで。
あなたも、このお方を信じ、「希望と平安の旅」に参加しませんか。


「それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(新約聖書 ヨハネ福音書3章15節・16節)
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」(ヨハネ福音書5章24節)
「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」(新約聖書 使徒の働き4章12節)