一人ぼっちの、クリスマスイブ。
クリスマスイブは誰と祝いますか?
家族とですか?
友人とですか?
それとも、恋人とグラスをかたむけて・・・。
「クリスマスなんて、私には関係ない。なくなればいい!」と、こころで叫んでいる方もいるのではないでしょうか。
もし今、「人生に釈然としない思い」や、「これから先の人生に希望を見出すことができない」と、悲観しておられるなら、そっと喧騒から離れて、ひとりでこころを静かに「イエス様」と呼んでみて下さい。
そして、自分の思いを、こころの重荷を、この方に預けてみてください。
イエス・キリストはこう言われます。
「わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」 (新約聖書ルカの福音書11章9節)
いつからか、商業主義的な祭りごとにすり替えられ、「主人公のいない誕生会」になってしまいました。どうぞ、このクリスマス(キリストの降誕)イブをクリスマスを、主人公のいる祝会にもう一度変えてください。
この方は、神でもあるのに人として来られました。決して、見せつけがましく神々しい姿で空から舞い降りてきたりはしなかったのです。
なぜでしょうか・・・。それは、人間の罪を贖うために、自身も人間になり、私たちが経験する悲しみや苦しみ、そして罪を背負われ犠牲になられたのです。
あなたのために。
「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分の命を与えるためなのです」 (新約聖書マルコの福音書10章45節)
そしてこのお方イエス・キリストは、私たちの人生を、更には人生の先にあるモノをも豊にしてくださるのです。
「イエスは答えて言われた。『この水を飲む者はだれでも、また渇きます。』しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。私が与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(新約聖書ヨハネの福音書4章13節〜14節)
そしてこの真理は、あなたを全てから解放してくれます。
そうです、真理は宗教なんていう不自由な囲いの中にあるのではなく、このお方の前に置かれているのです。
そして、真理は「あなたを自由にする」のです。