この世では、負けるが勝ち。本当の勝利者とは・・・。
勝負の世界では、勝ち負けで優劣をつけます。
ある人たちは、競争原理が支配する世の中で、この法則を人生においても当てはめようします。
「勝ち組」「負け組み」に、無理にふるいわけたがります。
ここで、良く考えてください。
このことに、いったい何の意味があるのでしょうか。
そこには、他人の勝手な評価でレッテルを貼られ、自らもそのレッテルに押し流されている人の、何と多いことか。
私たちは、常に勝つことが要求され、負けること、即ち人生の敗北者とのレッテルを貼るような価値観を持たされて生きてきました。
これが、この世が全てだと考える人の姿です。
この世を創られた「創造主」を信じて畏れることができずに、やがて朽ちていくしかできない人間の目を、人間の無責任な評価を恐れるとは・・・。
何故、神に目を向けることができないのでしょうか?
どうして神を抜きで、人生を生きて行けるのでしょうか?
本当に、神などいないと考えるのが正しいのでしょうか?
「イエスがキリスト(救い主)であると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。」
「なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。」
(ヨハネの手紙第一・5章1節、4節)
この世が全てと考えて、全てのものを得ようとするこころに歪みが生じます。
全てに対して、やりくりしよう、取り繕おうと無理をしてしまうのです。
そして、その歪みが真理を見る目を曇らせてしまうのです。
このエントロピーの法則が働くこの世界において、私たちは、確実に死をむかえます。分かっていることですが、人はここから目をそらして生きています。
それは、その先に「確かな希望」を見出すことができないからなのです。
それでは、確かな希望とはなんでしょうか。
「離れて生きてきた創造主との親子関係を修復すること」で得られるのです。
それには、創造主である神が示してくださっている愛、すなわち、御子であるイエスキリストを私たちの救い主として受け入れることなのです。
たった、それだけなのです・・・。
イエスは言われました。「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と。
「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです」(ローマ人への手紙10章9節)
そして、信じたその日から、神の御国に向って歩き出すことができるのです。