どうやって祈ったら良いの?


ある方から、こんな質問をいただきました。
改めて、祈りについて考えてみたいと思います。





聖書には、「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」(コロサイ人への手紙4章2節)とあります。他にも、祈りの重要性を説く箇所がいくつも出てきます。
このことから、「祈ることが大切であり、常に祈るべきだ」。さらに、なかば強制的に祈ることを押しつけられた経験があるかもしれません。
これでは、祈りが義務になってしまいます。
祈りは義務ではありません。まして、強制されるものでもありません。
これでは祈る気持ちさえ起こらないでしょう。
それでは祈りとは何でしょうか・・・。


それは、私たちキリストを信じる者の「特権」なのです。
本来であれば「完全である神」に近づくことさえできません。しかし、キリストが十字架で流された血を通して、わたしたちを聖い者として扱ってくださっています。(ペテロの手紙・第一3章18節)
それどころか、信じられないかもしれませんが、「神の子」として見ていて下さるのです。

そうであるならば、この特権をおおいに活かすべきではないでしょうか。

さあ、どうでしょうか・・・。
別の見方をすれば、この地上で霊的な健全さを保つために祈りがあるのです。
私たちはキリストを信じたときに、古い罪の身体はキリストと共に十字架で死にました。そして、驚くことに、もうすでにキリストと一緒に天に座しているのです。(エペソ人への手紙2章5・6節)
この世界の惑わしや儚い幻想に翻弄されることなく、この世にあって神の国の住人らしく振舞うためにも、祈りによって神の国の住人である感覚を保とうではありませんか。
言葉を換えて言えば、祈りは「神の国ライフライン」なのです。
呼吸や栄養のように、生きていくために欠くことのできないものなのです。
さらには、神との会話でもあります。今の思いや、悲しいことや辛いことがあれば、内なる主に向ってその重荷を直ぐにあけわたしましょう。親しい人と会話をするように。神はそれを望んでおられるのです。
楽しいときにも同じように、神に話しましょう。そのことを喜ぶはずです。
何か重要な決断をしなくてはならないときにも、直ぐに相談しましょう。直ぐには自分にとって良いとは思えないこともあるかもしれませんが、それでも結果的にはそれが最善であることをしるでしょう。

そして、どんな些細なことと思えることでも感謝の祈りをしましょう。
朝を無事に迎えられたことを。食事ができることを。なにより、イエスキリストを受け入れることができたことを。



※祈りに形式はありません。天にいるお父さんに話すように何でも話、相談してみてください。ただ一つだけ、祈りはイエスキリストの名前を通して聞かれるので、最後に「イエス様のお名前を通して、お祈りします」と付け加えてください。