自殺がいけない本当の理由

韓流タレントで歌手のパク・ヨンハさんが自殺した、というニュースが流れた。
http://www.jiji.com/jc/c?g=int&k=2010063000202&rel=y&g=int





彼は日本でも人気が高く、あの甘く優しい笑顔は深淵の闇へと隠されもう見ることはできない。このようなニュースにふれる時、無力感とともにある種の怒りがこみ上げてくる。





「なぜ、自らの命を絶つのですか・・・?」


テレビゲームのように「死ねばリセットできるのですか・・・?」


「死んだら全てが終わるのですか・・・?」と、問わせていただきます。


もし、今、生きることより、死を選ぼうとされている方が、ここに来ていらっしゃるなら、少しだけ時間をください。そして、「誰も教えてくれない、自殺がいけない本当の理由」を聞いていってください。


あなたは、どうしようもない苦しみと絶望感を前にして、きっともがいておられるのでしょう。そして、生きていることに疲れ、これから先に何の希望も見つけることができなく、まだまだ続く時間から自分の存在をなくしてしまいたい、と考えておられるのですね。辛い中、良く今まで頑張ってこられましたね・・・。


それでも、あえて「自殺はしないでください」と言わなければなりません。


「生きてれば良いことがあるよ!」とは言いません。わかったような、慰めも言うつもりはありませんが、できれば最後まで読んで、ご自分でその時に判断して欲しいのです。


その前に、少し人間について説明いたします。人間には「身体」と意識や感情などの「こころ」から成り立っている、と一般的に考えられています。でもその考えだと、なぜ、死んだ人の墓の前や仏壇で手を合わせて祈るのでしょうか・・・。死んだ人に何をお願いするのでしょう。また、お盆に死んだ人の霊が帰ってくる(?)、ということで迎える準備をする人もいます。「霊が風にのって、私たちを見守っている」という歌も流行り、近しい方を亡くされた方々がその歌詞に癒されたそうです。死んだ人の霊(先祖)が生きていて、その霊が災いをもたらす・・・、ということまで言い出す人もいます。


つまり、「人間は死んでも終わりではない」ということを感覚的に知っているのでしょう。


そこでもう一度、人間の説明になりますが、人間は「身体」と「こころ(魂)」と、そして「霊」で形成されているようです。肉体の死は誰にでも訪れますが、「霊は永遠に存続する」のです。「死んだ時の霊の状態」のままで・・・。「誰かのこころの中でいき続ける」というような、曖昧な概念ではないのです。


死んだ時の霊の状態とはどういう意味でしょうか。生きることよりも、自らの死を選ばれる方が、絶望感や非常な苦しみ、悲しみ、あるいは身を焦がすような怒りを抱え死んでいくと、霊はそのままの感情で生き続けることになります。人生を終わらせて、今の苦しみ悲しみ絶望から逃れ、何もかも消滅させようとの思いで最後の力を振り絞って命を絶つのに、そのまま永遠に続くとしたら・・・。まさしく、これは地獄だと云わざるを得ません。(私には、想像することもできません)


目に見える物質(肉体)は死に、朽ちていきます。しかし、目に見えない霊は永遠に生き(存続)続けるのです。


人間の一生など、時間にしたらたかが80年位です。肉体(身体)の死は終わりではありません。そこから、永遠という終わりのない時間が始まっていきます。そうだとしたら、たまたまこの世の中では他人より不幸に思えたかもしれませんし、上手に生きることが苦手だったかもしれませんが、その分この世の中では味わうことのできない幸福な時を過ごしたいと思いませんか・・・?これは一時的な慰めでも、夢物語でもありません。歴史書(聖書)が証明する真実なのです。





聖書には「心の貧しいものは幸いです。天の御国はその人のものだからです。」(新約聖書マタイの福音書5章3節)と書かれてあります。なぜ「心の貧しい人は幸い」なのでしょうか。心が貧しいとは、心が満たされていない状態のことです。もしあなたが今、この世の中で物質的にも満たされて幸せだと感じていたら、絶望することもできなかったでしょう。また、何かにすがりたい気持ちもおこらないでしょう。自己が徹底的にへりくだった時に、何かが手をさし伸ばしてくれるのです。何かとは、「イエス・キリスト」なのです。そればかりか、天の国はその人のものだ、と言っているのです。


満たされない心(霊)を埋めるのは、「イエス・キリスト」しかありません。この方を信じ受け入れる時、人生に「光と希望」が満ち溢れるのです。


このような理由が「自殺をやめて欲しい理由」の一つです。ここまで読んでくださりありがとうございます。どうぞ、もう少しだけでいいですから、意識を死からはなしてみてください。そして、自分では考えもつかなかった生きる理由がまだあることを、知っていただければ嬉しいです。


わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」 (新約聖書ルカの福音11章9節)


聖書は生きる希望を与えてくれます。また、神の素晴らしい約束が書かれています。この世の中の価値あるものをいくら得ても、それはやがて朽ちていきます。まして、心の空洞をイエス・キリスト以外のまがいもので埋めることはできないようです。聖書を通して語られる神の真の愛を、命を、受け取ってくださいますように。