友よ、ヨルダン川を渡ろう!!

これから何回かに分けて、このスリリングでまた、とても挑戦的な問題を私なりに取り上げていこうと思います。ある人はとっくに越えているのでしょう。しかし、多くのクリスチャンと言われる人はこの「信仰の大河(ヨルダン川)」の手前で足踏みしています。それどころか、ヨルダン川があることさえ知らずに対岸の景色に満足しながら川沿いを歩いているのではないでしょうか。


これは、実は私自身への挑戦でもあるのです。ですので、他人を批判したり蔑んだりする意図で書くのではないことをご理解ください。




「幸福な生活の秘訣」という本の中に、次のような祈りをすることを勧めています。

 「主イエスよ、私のクリスチャン生活に伴う一切の気遣い、不安、それに罪から私自身を解放することが、あなたにはおできになると信じます。単に将来だけではなく、今この時代も私を自由にしてくださるために、あなたは死なれました。あなたは罪よりも強いお方ですから、罪に身をゆだねことから私を守ることができると信じます。私を守ってくださるあなたを信頼します。私は自分自身を守ろうと努力し、しかもみじめな失敗に終わる経験をくり返してきました。私には全く力がありません。それで今、私はあなたを信頼します。私自身をあなたにささげます。私は何一つ手元にとどめません。・・・ですから今、私はあなたのものです。
 この貧弱で愚かな心を、あなたが受け入れてくださるものと信じます。また、この心があなたの所有となったものと信じます。さらにこの瞬間から、あなたが私のうちに働いて志を立てさせ、みこころにかなうわざを始めてくださったものと信じます。私はあなたを全面的に信頼します。今、あなたを信頼します。」アーメン

※「主よ、みこころをおしえてください」(An Unknown Christian著・いのちのことば社)より転載。赤字は管理人による。


この祈りは、私にはとても示唆に富む内容だと感じられます。それは、「自分が行うのではなく、キリストが行われる」とあるからです。私たちはこれを求めないでしょうか。


この本の著者は「私たちの存在と所有のすべてを神にゆだね、神にご自分の望んでおられることを私たちとともにしていただくことなのです。」とし、「ただあなた自身を神に明け渡し、続いて、キリストがご自分の分を果たしてくださると信じればいいのです。」と言います。


そうです。「勝利を与えるのは、キリストご自身」であり、私たちではありません。これがヨルダン川を越えた先にある勝利の生活です。