友よ、ヨルダン川を渡ろう!!(その2)


さて、いよいよこのテーマについて考えていくことにします。実はこのテーマを書くように背中を押されたのは、先に記しました「主よ、みこころを教えてください」(いのちのことば社刊)にあります、著者の警告のことばでした。ここに記されている言葉に大きな衝撃を感じられずにはいられませんでした。


初めに、そのことばを素直に受け取り、もう一度ご自身の信仰に光を照らしてみてください。

さてここで、警告のことばを書いておきたいと思います。サタンは、あなたの思いを曇らせるために、力の限りのことをするということです。ありとあらゆる疑いと困難を持ち込んできます。なぜでしょう。あなたが勝利を得る妨げをしようと懸命だからです。信じてください。サタンは「宗教的」であることを問題にしません。あなたが勝利在る生活に手が届かない限り、力の欠けた働きがどんなになされても、いっこうに気にしないのです。
あなたが快楽を求めてこの世に出かけている限り、また尊敬される人でも、平気で犯す罪にひっかかっている限り、キリストのために努力すればするほどサタンは喜びます。・・・・・・・そして、勝利ある生活の教えの信頼性を落とし、あなたにそれを理解しようという気持ちを起こさせないためにあらゆる手段を講じるのです。彼は聖書のことばを用いる、誤用する、達人といえましょう。
ところで、次のことは確かです。それは、勝利ある生活ははたして可能なのかと疑いが思いの中に生じ、あるいは、この本の中のある箇所と矛盾するように思われる聖書のことばがあなたの心に「浮かぶ」時、それはサタンに有利になるということです。

今この警告の言葉を受けて、さまざまな思いで「ヨルダン川」を、もう一度眺めておられることでしょう。そして、霊の目をしっかり見開いて、新たな一歩を踏み出していきたいものです。


キリストともに在る私たちが、キリストの勝利をともに味わい、「勝利ある生活」を送れるように成長していければ幸いです。