頑固じいさんの改心!?


私たちの教会には一人のおじいさんがいます。名前はTさんです。


身体が不自由なことに加えて、最近はおまけに目も悪くなり、教会にも来たり来なかったり。


実は、Tさんはわけあって一人暮らし。


教会に来はじめたのは、海外にいる娘さんの勧めがキッカケでした。とはいうものの、とくに主を信じたわけでもなく、牧師が何かと気にかけていて、朝車で迎えに行くので来ている、という感じです。


私も、この朴訥とし社会の中で上手に生きていくことができないこの不器用なお年寄りを放っておけずに、特に用がなくても顔を出していました。


それはもちろん、これから先の人生に確かな希望を持ってもらいためです。


ある日の午後、相変わらず暑い中、じいさんが熱中症で倒れてはいないか心配だったので家を覗いてみると、暗がりからヌーっと顔をだし、「あー、どうも」といつもの挨拶で家の中から現れたのでひと安心。


ほとんどしゃべらないじいさんがポツリと「今度イエスさんに祈ってみるかな・・・」。


「うん?今なんて言った!!」と聞き返すと・・・。


「今さらイエスさんに祈ってもダメダンベ。苦しい時の神頼みだな」と照れながら言ったのです。





このじいさんとの付き合いは、私がこの街に来て4ヶ月たった去年の8月のことでした。バイクで単独事故を起こして入院し、無事に退院したころからです。


牧師と初めてじいさんの家を訪れた時は、怪訝そうな顔で「私に構わないで下さいよー」と言っていたのを良く憶えています。人との係わりを避け、世の中の不条理に翻弄されてきたこの老人は、すっかり心を閉ざしていました。


家は荒れ放題、食事も最低限の栄養を補給しているだけ、と言った状態です。一度もお茶などを出してもらったことはありませんが、出されたとしても「ノーサンキュー」です。(間違いなく腹をこわすでしょう・・・。^^:)


教会では皆でこんなじいさんのために祈っていたのです。