頑固じいさんの改心!?(その3)
朝の7時、携帯電話が鳴り・・・。
「どうも、すぃません・・・。」いつものじいさんの声。
「どうしたのー」
「あのー・・・、こんなこと、頼むのは、心苦しいんだけど・・・。」なんだか言いずらそうに、いつもの前置きをした後に、「畑の草を刈らないと・・・。俺には、できねぇーんだ。」
そろそろ来るころだと思っていた私は、「そうだねー、夏はすぐ草が伸びるからねー。やるから心配するなー」と答えるとじいさんは、「うん。」
電話を切って5分ほどすると、再びじいさんからのコール。
「あっ、どうも。やってもらっても、俺ができるようになるわけじゃねえし・・・。しかたなかんべ・・・。」
「うん・・・?、あんだって・・・」じいさんとの会話は聖書と同じで、行間から読み取らなければなりません。(なんだか、こちらがじいさんから訓練されてるような・・・ ^^;)
どうやらじいさんが言いたいのは、今回だけ草を刈ってもらっても、また伸びてくるのだからその時に俺ができなければ意味がない、ということです。身体は悪くなる一方で、もう自力で畑に出ることができなくなってしまっているのです。
ということは、「責任もって最後まで面倒見なさい。」ということを匂わし、そして、これがじいさんの高等戦術だったのです。(笑い)
「愛は寛容」「愛は親切」「愛は・・・」(コリントⅠ・13:4)