主こそ、私の受ける分です
「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。
主のあわれみは尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。
『あなたの真実は力強い。
主こそ、私の受ける分です。』と
私の魂は言う。
それゆえ、私は主を待ち望む。」
(哀歌3:22〜24)
今朝も当たり前のように眼が覚めて、決められたことのように食事を摂り、日常の煩雑さにまぎれていく。
あたかも、何もないかのように・・・。
そこには、主への感謝がみられるだろうか・・・。
日々犯してしまう罪の悔い改めが生じる、こころの働く余裕はあるのだろうか・・・。
この地上では、困難や試練と思えることは誰しも経験します。それでも、神の哀れみの故であり、神の御心であることを思い起こして、背けていた顔をいつでも主へと向きを変えたいものです。(コリントⅡ・7:10)
そして霊的には祭司であるわたしたちも、相続地の「主の住まい」へ向かって一歩一歩信仰の道を歩んで行くことができれば幸いですね。