弱いときに強い!!「ある患者の詩」
ニューヨーク大学のリハビリテーション研究所の壁にはこう刻まれているそうです。
大事をなそうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった
より偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた
幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまづくようにと
弱さを授かった
人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと
生命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ
この詩を書いたのは患者さん(おそらくクリスチャン)だということです。どのような病に侵されていたかはわかりません。また、そのために、どれだけ苦しんだかは知る由もありません。
もちろん人並みの豊かさや、幸せも求めたでしょう。
それでも、絶望のどん底を這っていたときに、同じ暗い底で弱さをまとい徹底的にへりくだられたイエスに会うことができたのでしょう。
天の高いところから低い者を顧みてくださる方が、強さを捨てて最も弱いものとなられました。
それは、私たちを強いものとしてくださるためです。
わたしたちも罪深さ、弱さを受け入れ低くされた時に、神の力が働きます。神の力や恵みは、もちろん病を癒すこともあります。しかし、弱さから救い出す力があることも知らなければなりません。
そして、神の恵みは「もう十分わたしたちに注がれている」のです。
「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちの完全に現れるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私おおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましう。・・・・・私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(コリントⅡ・12:9,10)