義援金はないけれど・・・。



各界の大物は、被災者の方々へ多額の義援金を寄付されているようです。


また、私財をはたいて大量の支援物資を現地に届け、支援活動にあたっている様子が放映されていました。


ある人はこれを売名行為だと言っているそうです。なんとも寂しいこころの持ち主です。


たとえそうだとしても「他人のための助け」になることには違いがありません。





さて、わたしには多額の義援金は用意できません。それどころか、町に置かれている募金箱に少しのお金を入れるので精一杯です。


ところが私たちキリスト者には、どれほどの金額を積んでも買うことのできないものを持っています。また、どの支援物資よりもなくてはならないものを持っているのです。


ペテロは、何かを貰えると思っていた生まれつき足の不自由な男に「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」(使途3:6)と言いました。そしてその男は「歩いたりはねたりしながら、神を賛美した」のでした。




わたしにも、金銀(お金)はありません。(自慢ではありませんが・・・^^;)


それでも、それ以上に価値あるモノを持っています。


それは、悲しみにくれる日々に「希望と平安」を与え、そして、朽ちることのない「この世の先にある天の相続地」を得させてくださる救い主イエス・キリストの福音(よき知らせ)です。



避難所生活で不自由な日々を送っておられる方々が、一日も早く平穏な暮らしを送れますように、また、今回の災害でこころを痛めておられる方々が、真の平安が与えられますように。
そして、こころが開かれてこの福音を受け取ってくださるように祈ります。