じいさん、選挙に行く。
数日前から「選挙に連れて行け」というじいさんを不在者投票に連れて行くことになりました。
いつもは人の話を余り興味がなさそうに無表情で聞いていますが、選挙の話をした時は目を輝かせてこちらの話に素早く返答してきます。そうです、会話が成り立っているのです。
実は私の世話になっている方の甥が立候補し、時間が取れるときにボランティアで応援していました。
その関係でじいさんにも「今度の県議選に○○さんを頼むね」と話をしていました。
投票所の入り口でじいさんは、「○○だったな!」と名前を再確認し、いざ投票へ。
まるで幼子を「初めてのお遣い」に出す親のような気持ちで待っていると、
こころなしか少し胸を張って、じいさんは出てきました。
帰りの車の中で、「ちゃんと名前を書けた?」と尋ねると、
「書けた」と、じいさん。
「まさか、自分の名前を書かなかったよね?」と、冗談を言うと・・・、
「まさか、書かねーよっ。俺みたいなのが立候補するわけねーだ。」と笑みを浮かべながら返すのです。ちゃんと冗談が通じているのでした。都合が悪い時はとぼけてしまいますが、まだまだしっかりしているようです。
人が一番辛いことは無視されることです。存在価値を認めてもらえない、人格を無視されることほど辛い仕打ち(いじめ)はありません。
特にお年よりは社会から、そして、家族からも少しずつお荷物にされていくように感じ、疎外感をもつようになります。何も社会や家族の中で役に立っていない、と感じることほど辛いことはないでしょう。
じいさんは「選挙の投票に行く」と言う行為を通して、社会につながっているのです。