じいさんの小さな喜び
前回で、じいさんの小さな被災者支援を書きました。
被災された方への支援物資(家財道具)の一時保管場所として、じいさん宅の納屋をつかわせていただきましたが、思いのほか早く被災地へ届けることができたのです。
現地から戻られてすぐに、軽のワンボックスカーに入るだけの荷物を積み込み、被災された方の息子(姉妹のご主人)さんは出かけていかれました。
話によると、津波に流された被災地の光景は、日常の感覚ではすぐには現実のできごととして受け入れられないそうです。
「すぐにまた帰るのは、運転が大変ですね」に、「現地の方のことを思うと、大変だなんて言ってられません」と言われました。
彼を動かすエネルギーは、他人を思いやることのできる「愛」だったはずです。
その彼が無事に戻ってこられて、手伝ったお礼にとお土産をわたしたちとじいさんに買ってきてくださいました。
さっそくじいさんに届けると、
いつもは、「うん」とか「あっ、どうも」くらいしか言わないのですが、
「こんなことしてくれなくても・・・」
「ありがとう・・・。よろしく、言ってください」と恐縮しながらも感謝していました。
「どこかに必要としていてくれる人がいる」そして、「誰かに愛されている」ことを実感できれば人は、「他人を愛す」ことができるのでしょう。
これが、神がわたしたちに望んでいることです。
まず、神がわたしたちを愛してくださっていることを忘れないで下さい。
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」(ヨハネⅠ・4:9)
「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」(4:10)