ただ、神を待ち望む。
「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。
私の救いは神から来る。」
「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。
私の望みは神から来るからだ。」(詩篇62:1、5)
神を待ち望め。わが魂よ静まって、神の全きみこころを示していただくがよい。
主の御前に静まれ。そうしてこそ、主はおまえのうちに、ご自分の心の願いを実現される。
神の御前に鎮まれ。そうすればおまえは、主を待ち望むものにのみ与えられる、
聖なる澄んだ静寂を知るようになる。おまえはもろく、空虚な器だ。
しかしおまえのうちに、主はご自分のいのち、愛を注がれる。
こうして、神の力はおまえをとおして発散し、神はおまえたのために働き始められる。
これからは、自分に何ができるかと尋ねてはならない。おまえは何もできない。
しかし主は、人間の力が尽き、おまえのベストの努力が水泡に帰したところから、
ご自分のすばらしいみわざを始められる。
※「神を待ち望め」アンドリュー・マーレーより
私たちは何もできないにもかかわらず、まだ何かをしようとしてしまいます。
「神はなんでもできる」という心強い言葉をしりつつも、信頼しきっていないのです。
この約束は、「徹底的に弱くされ、何もできない絶望の中で見出す真理」なのかもしれません。
自分が何かができると思っているときは、まだ、その人は強いのです。
主が働いてくださるのは、自分の働き(肉の)を止め、へりくだって弱くされた人です。
「しかし、主は『私の恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、
弱さのうちに完全に現れるからである。』と言われたのです。
ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、
むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」(コリントⅡ・12:9)