その贖罪は何のため?
俳優の長門裕之さんが亡くなられました。
女優であった奥さんの南田洋子さんとのおしどりぶりは有名です。
認知症を患っていた南田さんの介護の様子を世間にも公表しました。
そこには無邪気な幼子を愛おしむかのように世話をしていた、
長門さんの姿が映し出されていました。
長門さんは認知症になった南田さんを時間の許す限り、ご自分で世話をしていたようです。
亡くされた後のインタビューで長門さんが言われた言葉が強く印象に残っています。
・・・こう言われました。
「介護は贖罪」だと。
長門さんの女性関係や借金の問題で南田さんは心を痛めながらも、
かいがいしく夫の尻拭いをしながらついていったようです。
長門さんは恐らく罪の意識にさいなまれながら、自分に与えられた時間を
「贖罪という形」に変えていたのではないでしょうか。
さて、私たちは誰しも罪を背負って生きています。
天地万物を造られ、私たち人間も造られた方から離れ、
まるで「自分が神のようにふるまって生きている罪」です。
これは、とても重い罪です。
そのために聖書では「罪の報酬を受けなければならない」とあります。
報酬ですから自分の行いに応じて受けるモノです。
これは永遠の死といわれる「神の裁き」です。
この神の裁きから逃れる手段は、人にはありません。
長門さんのように「何かをすることで罪を贖うことはできない」と聖書にハッキリとあります。
しかし真実であり愛である神は、罰を撤回されることはできませんが、
私たちが受けるべき罰をひとりのお方に下されたのです。
そのお方が、人となってすべての人の罪を背負い、十字架で神の罰を受けて死なれました。
そして3日の後に甦り、今も生きておられるイエス・キリストです。
神を畏れず神の主権を侵し続けている私たちの
「唯一の贖罪はイエス・キリストを信じ受け入れること」です。
亡くなった方のことを話すときに「今は天国で安らかに・・・」という言葉をよく耳にします。
人は必ず死にます。
死後を美化することも、理想や勝手な希望にかえることはできません。
贖罪を恵みに変えてくださったイエス・キリストの愛を「信じ受け取ることができれば」あなたは幸いです。
そして、信じたものには「報酬を永遠のいのち」へと変えてくださるのです。
「キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、
私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。
私たちの神であり父である方のみこころによったのです。」(ガラテヤ1:4)
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、
わたしたちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6:33)
「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、
永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。」(新共同訳 ヨハネ5:24)