山の上にある備え


そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。
今日でも、『主の山の上には備えがある。』と言い伝えられている
。」
(創世記22:14)



アブラハムは主を信じて疑わず、主のあとを従いました。
主はどういう方かを知っていたのでしょう。


さて、わたしたちはどうでしょう。


ほんの些細なことにも動揺し、主の約束を疑ってしまう。
進む先が見えなくなると、内なる御霊の思いを押し込み、肉の思いに操られてしまう。


平坦な道ばかりではない。いや、むしろ険しい崖や、足元の不安定な上り坂のほうが多い。


それでも天地万物をその手で造られた創造主が、わたしたち一人びとりの人生を、
同じ手で計画していてくださるのです。


「アドナイ・イルエ」とは、主はわたしたちを見ておられ、そして、必要を備えてくださる、という意味です。


そして、その備えは平坦な「山の下」にではなく、
主を信じ、主に従って登った「山の上」にあるのです。