主の前にある、二つの道。


幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、
あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は
主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。


その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、
その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。


悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者の
つどいに立てない。まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。
しかし、悪者の道は滅びうせる。」(詩篇1:1〜6)



主の前には二つの道があります。いや、二つの道しかないのです。


それは、「真の成功への道」か「滅びへの道」です。


この賛美(詩篇)を書いた人間臭いダビデ王は、挫折を味わいながらも
主に従う道を選び、主の前にある成功の道を歩みました。


それは、決して色あせることも、こぼれ落ちることもない「究極の存在(神)に
よって与えられる成功」なのです。


信仰によってまかれた種がやがて実りの時をむかえるが、その木は衰えるどころか
ますます榮るとは、なんという恵みでしょうか。