祈りの検証!?

ヒトは自分の力ではどうしようもない時に、祈ります。


無病息災に家内安全、五穀豊穣や大願成就など・・・。


主(神)は、私たちが何かをしてもらうために存在しているのでしょうか。


これでは「主が私たちに仕えている」ことになります。(人間も偉くなったものですね)


祈りは「主との会話」であり、「魂を主に向ける」時ではないでしょうか。


そこには主への感謝があり、また賛美が生じます。また、みこころに沿った
願いもあるでしょう。悩みを打ち明けることもあるはずです。


ただ、いつでも覚えておかなければならないことは、主を引き摺り下ろすのではなく
私たちの魂を主のもとに引き上げていただくことです。


これが祈りです。そしてそれが主との会話になるでしょう。


ここでひとつ注意をしなければなりません。主はいつも私たちの祈りを聴いていて
くださり、叶えてくださろうとされるお方ですが、時には私たちにとって害となりうる
祈りにも応えられるということです。


そこで、主は彼らにその願うところを与え、また彼らに病を送ってやせ衰えさせた。」
詩篇106:15)このことによって、一時的に苦しむかもしれません。
しかし、それも主のみこころであることを忘れてはなりません。


私たちは、祈る必要を感じたときにしか祈らないのでしょうか。もちろんこれもイエス
信じた者の特権に違いはありませんが、それだけではもったいありません。


祈りが主との会話や交わりとして許されていることならば、この交わりを大いに活用
したいものです。


なぜなら、「主を知る機会」だからです。


私たちは造り主である主を知ることも、まして仰ぎ見ることもできませんでした。
しかし、イエス・キリストは十字架の死を通して「私たちが主に近づき主を知る
ことのできる道を創ってくださいました。



その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、
あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです
。」(ヨハネ17:3)